古代の国家とは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 14:44 UTC 版)
高次元の解釈を進める上で有効な考古学データを見つけることがほとんど不可能なことが、問題を複雑にしている。一般住居址の発掘調査も行われてはいるが、そこから耕作地の管理形態や生産物の吸い上げなどを構築するためのデータを得るのは難しい。ただし、一般住居址の発掘調査からは、ティワナク社会においても階層差があったのではないかという証拠が挙げられている。遺跡の中心部近くの住居址や特定住居址では、他の地区では見られない、金箔や他の金属製品、精製土器などが出土している。また、ティワナク谷全体や隣のカタリ盆地(パンパ・コアニ)に分布する諸遺跡は、調査者によるとそれぞれ規模がかなり異なり、階層差が見られるという。ただし、その階層の解釈の仕方を巡って、ことなるティワナクモデルが提案されている。コラータはティワナク中央とそれに続く二次、三次センターを想定しやや統合的な社会を想定しているのに対し、アルバラシン・ホルダンは規模が異なるアイリュの重層化の表れと解釈している。 最終的に問題なのは、古代の「帝国」「国家」などの概念が研究者の間で一致が見られていないことにある。さらに、国家を示す考古学的な指標として世界的にもよく挙げられる、物資を集積するための倉庫や、権威や情報を伝達するための「王道」、権力者の存在を示す王墓などの強い証拠は、ティワナク文化においてはほとんど見当たらない。そのため、厳密に論じるならば、ティワナクが「国家」レベルの複雑化した社会であったことすら現段階では論じることは難しいといってもよい状況にある。
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