取り壊し後
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「オープリーランドUSA」の記事における「取り壊し後」の解説
2000年5月12日、ミルズ・コーポレーション(のちにサイモン・プロパティ・グループに売却)所有のオープリー・ミルズが開業した。ゲイロード・エンタテイメントは当初オープリー・ミルズの少数株を持っていたが、のちに売却した。1997年、オープリーランドの地所の今後が発表され、ゲイロードは店舗やレストランおよびオープリー・ハウスの新たなエントリー・プラザ、およびジェネラル・ジャクソンの船着場であるカンバーランド・ランディングに公共のマリーナとエンタテイメント施設を建設することを発表した。しかしこれらの計画はゲイロードがエンタテイメントよりもホスピタリティに焦点を当てることになったため取り消しになった。 カンバーランド川から園のニューオリンズ・エリアとステート・フェア・エリアを隔てていた長く低いコンクリートの堤防は一部がまだモールに残っており、マギャヴィック・パイクからモールに入ると当時園にあった短い鉄道の線路の盛土を見ることができる。 サザン・リビング・カンバーランド・リバー・コテージはゲイロード大学とも呼ばれるホテル従業員の訓練施設となり、ケイオスのあった場所に移転し、2010年に取り壊されるまで使用された。巨大な管理棟は短期間園の門外にあったが、ジェネラル・ジャクソンとミュージック・シティ・クイーンの事務所となり、その後カンバーランド・ランディングの近くに移転した。 オープリー・プラザはほとんど手を付けられておらず営業を続けている。オープリー・ハウス、ロイ・エイカフ・シアター(のちにベルサウス・エイカフ・シアターに改名)、グランド・オール・オープリー博物館は園の取り壊し中および後も使用され続けた。これらの建物は一時的にロイ・エイカフやミニー・パールの博物館となったが、最終的にラジオ局WSMの管理棟となった。ガスライト・シアターはゲイロード・オープリーランドで毎年冬に開催する『アイス!』の会場となり、その他テレビ番組製作、宴会などのイベントにレンタルされている。この建物は園内にあった建物で唯一残っているものである。 設備の多くは取り除かれたが、ウォーター・スライドのグリズリー・リバー・ランページのコースは閉鎖から14年後もオープリー・ミルズとゲイロード・オープリーランドの間の小道に沿って存在していた。2011年秋、ゲイロード・エンタテイメントはこの近くで毎年冬に開催される『アイス!』のための新たなイベント・センター建設のためグリズリー・リバー・ランページの場所を撤去した。2011年11月までに園の残滓はこれで全てなくなった。 2004年、『テネシアン』紙は、ゲイロード・エンタテイメントの新たな幹部は以前の幹部によるオープリーランドのプランの根拠がないとして、戦略分析から閉鎖に至ったとされるが、強制的に園を閉鎖させる意味はなかったと報じた。オープリーランド時代の幹部は、よりホスピタリティに焦点を当てようとしている時に古い考えのままでいた。2012年、ゲイロードのCEOであるコリン・リードは園の閉鎖から3年以上後の2001年にゲイロードに就任したのだが、オープリーランドの閉鎖について「悪い考え」と語り、彼にとってゲイロードでの初年度の間こう言い続けた。 2012年1月19日、ゲイロード・エンタテイメントは以前オープリーランドがあった場所の近くに新たなテーマ・パークを建設する計画を発表した。この計画は夏はウォーター・パーク、冬はスノー・パークとして年間を通じて使用できるものであった。これはドリー・パートンと、ドリーウッドを経営するハーシェンド・ファミリー・エンタテイメントとの共同事業で2014年開業予定となった。しかし数か月後、ゲイロードがホテル経営権をマリオット・インターナショナルに売却することとなり、パートンとハーシェンドは手を引いた。共同事業の撤退によりこの計画は撤回された。 2012年、REITへの転換により、ゲイロード・エンタテイメントはライマン・ホスピタリティ・プロパティーズと改名した。
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