即時の歴史的な影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 17:59 UTC 版)
奴隷制度への即座な影響は少なかったものの、奴隷解放宣言は、北軍の南北戦争での目標を改め、はっきりさせた。北軍の目標は、もはや単に南軍を連合側に戻すだけでなく、奴隷制度を完全に廃止し「さらに完璧な合衆国」をつくることだった(アメリカ合衆国憲法前文には、憲法の目的が記されており、その中の一つが「完璧な合衆国をつくること」)。 しかし、宣言によって即座に解放された奴隷の数は少なかった。戦争中、主人のもとから逃避し、連邦の境界線内に逃げ込んだ奴隷たちは、連邦側にある専用の収容所に留まることとなった。その後、奴隷解放宣言が発布されたときには、もう彼らは自由だということを告げられ、収容所から解放された。 ジョージア州の海岸の近くに浮かぶシー・アイランドは、戦争開始の直後、連邦軍が占拠した。南軍の白人の兵士たちは後にその島から逃げたが、黒人の兵士たちはそこに残り、自給自足で生活した。奴隷解放宣言が発布されたときには、連邦海軍の将校たちが彼らにそれを読んで聞かせ、彼らがもう自由であることを伝えた。 軍隊の中では、奴隷解放宣言に対する意見が分かれた。納得できないとして反抗する兵隊たちもいた。これによって、軍隊を後にした兵隊たちもいた。その他では、この宣言が発布されたことに感動した兵士たちの中では、「合衆国と自由のために」というモットーを掲げはじめる部隊もあった。 南軍にとっては、奴隷たちは重要な「戦争のエンジン」の一部だった。奴隷たちは、食糧をこしらえたり、兵士たちの制服を縫ったり、線路を修理したり、農場や工場や鉱山で働いたり、防御用の壁を建てたり、病院などで労働したりした。連邦側に吸収されてからは、南部の地域中に、100万部もの奴隷解放宣言のコピーが行き渡り、さらに噂でも解放宣言のことが奴隷たちの間で広まり、その結果、数多くの奴隷たちが主人のもとを後にするきっかけとなった。
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