南極到達レースの敗因・遭難の原因の分析
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 02:48 UTC 版)
「ロバート・スコット」の記事における「南極到達レースの敗因・遭難の原因の分析」の解説
スコット隊がロアール・アムンセン隊に敗れ、遭難死した理由については、その当時から数多くの者が分析を行っている。中でも、スコット率いる南極探検隊に参加し、スコットたちの捜索隊にも参加したアスプレイ・チェリー=ガラードらは、スコットがアムンセンに遅れをとったことや遭難死に至ったその敗因について、以下のような分析を残している。 アムンセン隊は犬ぞりとスキーによる移動で極点に到達したが、スコット隊は当初使用した雪上車、主力とした馬による曳行がことごとく失敗し、人力でそりを曳かざるを得ず、いたずらに体力の消耗を招いた。寒冷な気候に強いとされる品種の馬を用意していたものの、馬そのものの体重が重いため雪に足をとられたり、クレバスに転落したことなどに加え、馬が生存できる耐寒温度を遥かに下回っており、馬は体力の低下とともに次々に死んでいった。 アムンセン隊では現地に棲息する海獣を狩るなどして携行食糧を少なめに抑え、足りなかった場合は犬ぞりの犬も食用としている。一方、スコット隊は全ての食料を持ち運んだ。特に馬のための干草類は現地では全く入手できない上、馬の体力消耗で思いのほか早く尽きてしまった。 アムンセン隊が南極点到達を最優先していたのに対し、スコットは地質調査などの学術調査も重視しており、戦力を分散させる結果となった。 アムンセン隊は南極点への最短距離にあたるクジラ湾より出発したが、スコット隊は学術的調査の継続のため、より遠いマクマード湾より出発せざるを得なかった。 スコット隊の最終メンバーは、43歳のスコットを筆頭として30代が中心であり、30歳未満の若い隊員はバウアーズ1人だけであった。 夏期としては異例とも言える長期間の暴風雪に見舞われた。 この他にも、アムンセンは北西航路の探検時に越冬した際、地元のイヌイットから犬ぞりの使い方や、毛皮を使った防寒着の作り方など、寒帯での生存術を学んでいた。また隊員はクロスカントリースキーが盛んなノルウェー出身だったため、スキーによる長時間の滑走にも慣れていたが、スコット隊はそのような技術や知識を持つ人間がいなかったことも要因とされる。 何よりも、スコットとアムンセンは南極探検の動機が全く異なっていた。アムンセンは子供の頃から純粋に極地探検を人生の目標としており、南極探検はあくまでもアムンセンの個人的な動機によるもので、探検の途中で重大な危機に遭遇した場合にはアムンセン自身の判断で引き返せる余地もあった。これに対し、スコットは大英帝国の威信をかけた国家事業の代表者として選ばれ、国家の期待を一身に背負って南極探検に臨んでいた。そのため、失敗しても失うのは極地探検家の面目だけの気楽なアムンセンと異なり、スコットは探検の初期の段階で雪上車の故障や馬の全滅といった想定外の危機に見舞われても、国家の期待に背いて引き返すことを潔しとせず、職業軍人としてのプライドもあって、そのまま死へと向かって前進を続ける以外に選択肢がなかったとも言える。
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