南条町
南条町
南条町
南条町(1878-)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/10 06:19 UTC 版)
「南条町 (丸亀市)」の記事における「南条町(1878-)」の解説
1878年(明治11年)には下南条町と上南条町が合併して南条町が成立した。丸亀町(町村制施行前)の中の1町となり、1885年(明治18年)まで西組に所属した。寺院が多かったこともあって、明治初期には丸亀小学校分校や那珂郡多度共立亀山中学校が置かれた。1888年(明治21年)の戸数は144戸、人口は547人(うち旧士族12人)であり、職業別では商業283人、工業18人、雑業246人だった。1890年(明治23年)の町村制施行によって那珂郡丸亀町が成立すると、南条町は丸亀町の中の1町となった。1899年(明治32年)には丸亀町が市制施行して丸亀市となり、丸亀市南条町となっている。 1915年(大正4年)には丸亀市役所が浜町から南条町に移転し、寿覚院に仮庁舎が置かれた。1940年(昭和15年)に戎座の跡地あたりに丸亀郵便局電話分室が置かれた。後に、丸亀電話局となる。 丸亀電話局は戦後に丸亀電報電話局となりさらにその後、丸亀市二番丁(大手町)に移転した。南条町の電話局跡地の建物は現在もテナントビルとして活用されている。昭和40年代には国鉄丸亀駅と国道11号(現在の香川県道33号高松善通寺線)をつなぐ道路が完成した。1950年(昭和25年)と1951年(昭和26年)には那珂郡地方町の一部を編入している。1952年(昭和27年)の世帯数は162戸、人口は628人である。1980年(昭和55年)には西本町と幸町の一部を、1981年(昭和56年)には城西町の一部を編入している。1981年の世帯数は107戸、人口は299人である。 寿覚院の観音堂 京極氏の菩提寺であった玄要寺 本照寺 法音寺と戎座跡
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南条町(なんじょうまち)
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