南フランス上陸作戦
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「ル・マラン (大型駆逐艦)」の記事における「南フランス上陸作戦」の解説
8月15日、ル・マランら第10軽巡洋艦隊は南フランスのプロヴァンス地方への上陸作戦(ドラグーン作戦)に参加した。ル・マランは砲撃により上陸部隊の戦闘を援護した。 12月25日午後5時40分頃、悪天候の中でナポリからトゥーロンへ向かっていたル・マランはル・テリブルの左舷に衝突してしまった。両艦は大破し、ル・マランは15メートルにわたって艦首を切断。艦首とともに49名の乗員も失われた。ル・マランの前部防水隔壁は波浪にさらされたが、夜になりイギリス海軍の曳船とイタリア海軍のコルベットが救援に駆け付け、彼らに曳航されながら27日朝にはナポリへ帰投を果たした。 1945年1月22日には破損した艦首部が整形され、応急修理後の2月26日にル・マランはラ・シオタへ向けてナポリを出港した。航海中、前年末に衝突事故が起きた海域に差し掛かった際には事故で行方不明になった乗員たちの慰霊祭が行われている。2月28日にトゥーロンへ至り、3月9日に目的地ラ・シオタへ到着して本格的な修理を行った。この修理では、1942年11月27日のトゥーロンでのフランス艦隊一斉自沈に巻き込まれ、その後放置されていた姉妹艦ランドンターブルから回収された艦首が取り付けられた。修理は終戦後の1945年11月まで費やされた。 修理された艦首部の艦内通路、ル・マランの艦体とランドンターブルの艦首の継ぎ目に掲げられたプレートには次のように記された。 "ここでル・マランは終わり、ランドンターブルが始まる" "Ici finit Le Malin et commence L'Indomptable"
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南フランス上陸作戦
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「ル・ファンタスク (大型駆逐艦)」の記事における「南フランス上陸作戦」の解説
8月15日、ル・ファンタスクら第10軽巡洋艦隊は南フランスのプロヴァンス地方への上陸作戦(ドラグーン作戦)に参加した。ル・ファンタスクは砲撃により上陸部隊の戦闘を援護した。
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南フランス上陸作戦
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「ル・テリブル (大型駆逐艦)」の記事における「南フランス上陸作戦」の解説
8月15日、ル・テリブルら第10軽巡洋艦隊は南フランスのプロヴァンス地方への上陸作戦(ドラグーン作戦)に参加した。ル・テリブルは砲撃により上陸部隊の戦闘を援護した。 12月25日、悪天候の中でナポリからトゥーロンへ向かっていたル・テリブルの左舷にル・マランが衝突してしまった。両艦は大破し、ル・テリブルは30メートルにわたって艦体を圧迫され4つの亀裂が発生。後部煙突は倒壊し3番主砲が使用不能になったほか、左舷推進軸とスクリュー、左舷側の40mm連装機銃がもぎ取られた。この事故でル・テリブルは死者8名・負傷者3名を出したが、翌日には自力でナポリへ帰投を果たした。 ル・テリブルはビゼルトで長期にわたる修理の後、戦後の1946年1月1日に再就役した。衝突事故で失われた左舷の40mm連装機銃は、修理で両舷ともに防盾付の40mm単装機銃に換装されている。
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