南への延伸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 21:13 UTC 版)
ミッドランド鉄道はロンドンへの路線を持っておらず、ラグビーでロンドン・アンド・バーミンガム鉄道(英語版)に直通することでユーストン駅に乗り入れていた。しかし、1850年代にはラグビーでの線路容量の問題が深刻になったため、トーマス・ブラッセイ(英語版)を雇ってレスターからケタリング(英語版・街)、ウェリングバラ(英語版・街(英語版))、ベッドフォード(英語版・街)を経由してヒッチン(英語版・街(英語版))に至る路線を建設し、グレート・ノーザン鉄道に接続する計画が立てられた。クリミア戦争の影響で労働力と資金が不足しており、予算は90万ポンド(2019年時点の£86,490,000と同等・1マイル当たり15,000ポンド)であった。このため、地形に沿って敷設されることになり、曲線や勾配の多い路線となった。橋は7か所、トンネルは1か所設置され、デスバラ(英語版)とシャーンブルック(英語版)にはそれぞれ18mの切通しがあった。主要な峠はキブワース(英語版)、デスバラ、シャーンブルックの3か所であり、このうちシャーンブルックは標高100mでその南側では8‰の勾配が約5km続いていた。この路線は1857年4月15日に石炭列車向けに、5月4日に一般貨物列車向けに、5月8日に旅客列車向けに開業した。この路線のうち、レスター - ベッドフォード間は現在に至るまでミッドランド本線の一部をなしている。 この延伸によりラグビーでの問題は改善されたが、グレート・ノーザン鉄道は直通列車の運転を認めなかったため、乗客はヒッチンで降車し、短い乗り換え時間の中で乗車券を購入したうえでグレート・ノーザン鉄道の列車に乗車することを余儀なくされていた。この問題を解決するため、総支配人のジェームス・オールポート(英語版)はグレート・ノーザン鉄道と交渉し、キングス・クロス駅への直通列車を7年間運行する契約を年間2万ポンド(2019年時点の£1,920,000と同等)で締結、1858年2月からグレート・ノーザン鉄道を経由したロンドンへの直通列車の運行が開始された。 しかし、この経路もまたヒッチンで線路容量の問題が発生したため、ベッドフォードからルートン(英語版・街)を経由してセント・パンクラス駅に至る路線が建設され、1868年10月1日に開業した。この延伸の費用は900万ポンド(2019年時点の£815,740,000と同等)であった。 交通量の増加に伴い、1885年6月26日にはラグビー・アンド・スタンフォード鉄道(英語版)との平面交差の解消のため、マーケット・ハーバラ(英語版・街(英語版))の北側の線路の付け替えが行われた。
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南への延伸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 13:48 UTC 版)
オランピアード駅から7号線のメゾン・ブランシュ駅まで延伸する計画である。メゾン・ブランシュから南では7号線は2つに分岐しているが、このうちのヴィルジュイフ方面の支線を14号線に移管する構想がある。さらに南へ進んでオルリー空港まで乗り入れる構想があり、2024年の工事完了を予定している。 メゾン・ブランシュ駅への延伸以降、プティト・サンチュール南部の試運転線跡を使った延伸計画があったが、並行するトラム3号線の完成により実現の可能性はほぼなくなった。
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