南アのケベック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:56 UTC 版)
オランダ東インド会社は南アフリカでの羊毛生産をあきらめていた。さて1789年、スペイン王室からオス2頭メス4頭のエスコリアル・メリノがオランダ王室へ贈られた。王室は、ケープ植民地軍総司令官ロバート・ヤコブ・ゴードン(Robert Jacob Gordon)に南アフリカで飼うよう命じた。1791年、オランダ王室の指示で現品が送還された。それまでに繁殖したメリノは現地産業の礎となった。1792年、ファン・リーネン三兄弟(Sebastian Valentyn van Reenen, Johannes Gysbertus, Jacobus Arnoldus, リーネン本家も参照)がロバートから三頭のスペイン・メリノを購入した。1795年ケープ植民地がイギリスのものとなり、2年後ロバートの妻が夫の友人らにメリノを売却した。友人とは同郷スコットランド出身のヘンリー・ウォーターハウス(Henry Waterhouse)ら英海軍の艦長三人であった。合計35頭が全てオーストラリアへ連れてゆかれた。 ボーア人がリーネン兄弟からメリノを買って育てた。最初の一人がスエレンダムに牧場(Olivedale, Buffeljagsrivier)をもっていたランドロスト・フォーレ(Landdrost Faure)であった。ヤン・フレデリック・ライツ(John Frederick Reitz)とミシェル・ファン・ブレダ(Michiel van Breda)も、1812年に牧場をスエレンダムにつくり、1816年リーネン兄弟からメリノ3組と雑種雌羊を買った。二人の牧場は1833年に7万7千キロの羊毛を生産した。こうして彼ら同族は1830年までにケープ南西部および西部での牧羊を確立した。 チャールズ・サマセット総督(Lord Charles Somerset)はイギリス系入植者の牧羊を開拓した。1815年から総督はキューからメリノを数回にわたり輸入し、牧羊業者にその子羊を販売していった。 グレート・トレックにより南ア全域に牧羊が定着した。1891年にはアメリカのバーモント・メリノが輸入された。1904年から1929年まではオーストラリアから毎年継続的にメリノが輸入された。
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