千手寺五芒星と岡山の陰陽道とは? わかりやすく解説

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千手寺五芒星と岡山の陰陽道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)

千手寺 (岡山市)」の記事における「千手寺五芒星と岡山の陰陽道」の解説

千手寺本尊は、吉備国千手観音として、吉備真備公が唐から帰国後、無事帰国できた千手観音信仰への「報恩」として、行基菩薩に作らせた千手観音像の一体と伝承されている。その後報恩大師は自らが尊崇する行基菩薩自作千手観音行基巡錫の地と伝えられる千手寺本堂祀ることで、吉備の国守りとした。 吉備真備公は、唐から『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』を持ち帰った陰陽道の祖として伝えられている。また陰陽道十八万巻肝心である「盤法」(盤法の一種ダキニ天式盤法・聖天式盤法)を日本伝えたといわれている。 千手寺開創したと伝えられる報恩大師は、吉備真備安倍仲麻呂と共に入唐した玄昉弟子である。俗姓阿刀氏である玄昉の師が同じく阿刀氏義淵であり、弘法大師空海母方阿刀氏伝えられている。義淵弟子として行基道鏡連なる 陰陽道はその吉備氏加茂氏)・安倍氏かかわりのあることから、千手寺陰陽五行調和シンボルである五芒星により、岡山市内・河川全体見渡しながら守護鎮守してきたと考えられるまた、陰陽道千手寺関わりについては、所在地である大内田由来一つが、小京都知られる周防国山口)の戦国大名である大内氏所領であったことから、領主である大内氏陰陽道信仰していたことの名残ではないかとも考えられるまた、千手寺住職であった算師は、真言法灯護持した江戸時代僧侶で、岡山県浅口郡里庄霊山寺不動院、また笠岡地福寺住職でもあった。浅口郡岡山県浅口市鴨方町阿部山安倍晴明屋敷跡と伝わる安倍神社などがあることからも、岡山における陰陽道ゆかりの地でもある。 そのことから陰陽道の祖である真備町吉備真備、また岡山県高梁川流域から広島県香川県にかけて活躍した京都土御門家ともかかわる、民間陰陽師の上原大夫との関連含め岡山陰陽道ネットワークを伺うことができる。 上田秋成の『雨月物語』中、「吉備津の釜」において、主人公として庭瀬住人吉備津神社神主の娘と鬼神温羅(うら)による鳴釜神事播磨の刀田の陰陽師旭日をつげる霊あらわれるが御霊信仰ミサキ信仰並び吉備の中山における吉備津彦神社吉備津神社と、その裏鬼門でもある大内田千手寺五芒星に、吉備の国における陰陽道信仰関連窺える

※この「千手寺五芒星と岡山の陰陽道」の解説は、「千手寺 (岡山市)」の解説の一部です。
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