千手寺五芒星と岡山の陰陽道
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「千手寺 (岡山市)」の記事における「千手寺五芒星と岡山の陰陽道」の解説
千手寺の本尊は、吉備国千手観音として、吉備真備公が唐から帰国後、無事帰国できた千手観音信仰への「報恩」として、行基菩薩に作らせた千手観音像の一体と伝承されている。その後、報恩大師は自らが尊崇する行基菩薩自作の千手観音を行基巡錫の地と伝えられる千手寺本堂に祀ることで、吉備の国の守りとした。 吉備真備公は、唐から『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』を持ち帰った陰陽道の祖として伝えられている。また陰陽道の十八万巻の肝心である「盤法」(盤法の一種がダキニ天式盤法・聖天式盤法)を日本へ伝えたといわれている。 千手寺を開創したと伝えられる報恩大師は、吉備真備、安倍仲麻呂と共に入唐した玄昉の弟子である。俗姓阿刀氏である玄昉の師が同じく阿刀氏の義淵であり、弘法大師空海の母方も阿刀氏と伝えられている。義淵の弟子として行基・道鏡が連なる 陰陽道はその吉備氏(加茂氏)・安倍氏とかかわりのあることから、千手寺は陰陽五行の調和のシンボルである五芒星により、岡山市内・河川全体を見渡しながら守護・鎮守してきたと考えられる。また、陰陽道と千手寺の関わりについては、所在地である大内田の由来の一つが、小京都で知られる周防国(山口)の戦国大名である大内氏の所領であったことから、領主である大内氏が陰陽道を信仰していたことの名残ではないかとも考えられる。 また、千手寺の住職であった智算師は、真言の法灯を護持した江戸時代の僧侶で、岡山県浅口郡里庄の霊山寺、不動院、また笠岡の地福寺の住職でもあった。浅口郡は岡山県浅口市鴨方町の阿部山に安倍晴明の屋敷跡と伝わる安倍神社などがあることからも、岡山における陰陽道ゆかりの地でもある。 そのことから陰陽道の祖である真備町の吉備真備、また岡山県の高梁川流域から広島県・香川県にかけて活躍した、京都の土御門家ともかかわる、民間陰陽師の上原大夫との関連も含め、岡山の陰陽道のネットワークを伺うことができる。 上田秋成の『雨月物語』中、「吉備津の釜」において、主人公として庭瀬の住人・吉備津神社の神主の娘と鬼神温羅(うら)による鳴釜神事・播磨の刀田の陰陽師・旭日をつげる霊鶏があらわれるが御霊信仰・ミサキ信仰と並び、吉備の中山における吉備津彦神社・吉備津神社と、その裏鬼門でもある大内田の千手寺五芒星に、吉備の国における陰陽道信仰の関連が窺える
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