匿名生活
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メアリーが娘を産んだあとに認められた匿名の権利の期限は、当初は「娘が18歳になるまで」であった。しかしながら、2003年5月21日、メアリー・ベルは高等裁判所と話し合い、自分と娘の匿名性について、死ぬまでずっと認められるという裁判所命令の発動にこぎつけた。この裁判所命令を承認したのは、高等裁判所の判事、エリザベス・バトラー=スロス(Elizabeth Butler-Sloss)であった。2009年1月、メアリー・ベルの孫娘が生まれた。裁判所命令は、のちにこの孫娘を含めて「Z」と呼ぶよう改訂された。また、この裁判所命令は、メアリーの家族とその生活を特定する可能性のある如何なる情報も公開してはならない、と定めている。 1998年、メアリー・ベルは、作家のギタ・セレニー(Gitta Sereny, 1921 - 2012)との共著本『Cries Unheard: The Story of Mary Bell』(『誰の耳にも届かない叫び ~メアリー・ベルの物語~』)を出版した。メアリーはこの本の中で、自分の犯した犯行の前後の出来事について記述している。メアリーはこの本の中で、売春婦だった母親(メアリーは母親のことを「dominatrix」(「女帝」)と呼んでいる)と、母親の「顧客」たちから受けていた虐待について詳述している。それ以外では、収監される前、収監中、釈放後のメアリーについて知っている親族、友人、専門家との面談の内容についても記述されている。 『Cries Unheard: The Story of Mary Bell』が出版されたのち、メアリーは著者のギタ・セレニーによる研究調査に参加したことで、セレニーから報酬として約15000ポンドを受け取った。このことで物議を醸したことがある。報酬を受け取ったメアリーは、煽情的な雑誌や世間から批判を浴びせられた。また、イングランド政府は、「犯罪者は自身の犯した行為から利益を得るべきではない」という理由で、この本の出版を阻止するための法的手段を取ろうとするも、失敗に終わった。ギタ・セレニーは、この本を出版するという自身の目的を優先させたことや、本の内容が、被害者よりもメアリー・ベル本人を重点的に取り上げたものであったことを理由に、メアリー・ベルが殺した被害者の遺族からこきおろされた。批判を受けたセレニーは、マーティン・ブラウンの母親とブライアン・ハウの母親に個人的に手紙を綴った。セレニーはこの手紙の中で、「(どちらの母親にも)出会えなかった」と弁解して彼女らに連絡を取らなかったことについて謝罪し、「決して遺族の存在を忘れていたわけではありませんでした」と主張した。 メアリー・ベルの所在については不明であり、2003年に高等裁判所が発動した命令により保護されたままである。ギタ・セレニーによれば、メアリーは自分が受けた有罪判決を「不当なもの」だとは主張しておらず、幼いころに受けた虐待が自分の犯した行為の免罪符になるわけではない、と率直に受け入れている。
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