北部戦線の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:01 UTC 版)
詳細は「エルセンボルンリッジの戦い(英語版)」を参照 第1SS装甲師団と北部突破作戦の要とされていた第12SS装甲師団(ヒトラーユーゲント師団)であったが、大きな期待とは裏腹に作戦初日から、「ヒトラーユーゲント」の露払いをするべきであった第277国民擲弾兵師団が、第99歩兵師団(英語版)の激しい抵抗にあってなかなか前進できずにいた。「ヒトラーユーゲント」師団長フーゴ・クラース(de:Hugo Kraas)SS少将は、増援としてIV号駆逐戦車部隊を送り、12月17日にはどうにかアメリカ軍の防衛線をこじ開け、ようやく作戦開始点からわずか数マイル先の村落クリンケルトとロッヒェラートに向けて進撃を開始することができた。しかし、アメリカ軍は実戦経験が豊富な精強師団ながら、再編成のために休息中であった第2歩兵師団第9連隊から1個大隊を、ドイツ軍の足止めのため村落の途上にあるラウスデール十字路(英語版)に派遣した。そして同大隊にはエルセンボルン峠(英語版)に配置されたアメリカ軍砲兵部隊が支援を行った。 第2歩兵師団の頑強な抵抗と激しい支援砲撃に第277国民擲弾兵師団は再び釘付けにされた。焦るクラースは、2個中隊のV号戦車パンターを抽出すると、ドイツ軍の戦闘教則を破って擲弾兵の支援なしで12月18日にラウスデール十字路に突入させた。パンター隊はアメリカ軍の阻止砲撃でたちまち4輌が撃破されながらもどうにか村落に突入したが、村落内で待ち伏せしていた第741戦車大隊のM4中戦車20輌と第644戦車駆逐大隊のM10駆逐戦車数輌にパンター6輌が撃破され、その後も村落に陣地を構築していた第38歩兵連隊のバズーカやM1 57mm砲で次々と撃破された。ドイツ軍はさらに第12国民擲弾兵師団(英語版)を主力とする増援をつぎ込み、翌日まで激しい戦いが続き、19日の午後になってようやくアメリカ軍部隊が村落から撤退したが、この戦闘で北方のドイツ軍は大損害を被った。第741戦車大隊は8輌のM4を喪失したが、27輌のパンターと数輌の突撃砲を撃破、第644戦車駆逐大隊も16輌のパンター撃破を報告しているが、これは過大戦果報告ながら、抽出されたパンター2個中隊はこの攻撃で壊滅しており、早くも「ヒトラーユーゲント」は主力戦力を失ってしまった。 翌12月20日に「ヒトラーユーゲント」は残存戦力からヤークトパンター、IV号駆逐戦車、IV号戦車を抽出し、第12国民擲弾兵師団と連携してドム・ビュトゲンバッハ(英語版)の突破を試みた。しかし、攻撃翌日の21日には第613駆逐戦車大隊の新鋭駆逐戦車M36ジャクソンが増援として到着、さらに翌22日には第745戦車大隊のM4戦車1個中隊と第2歩兵師団第38歩兵連隊が到着して攻撃は撃退され、「ヒトラーユーゲント」は早くもこの12月22日で進撃が停止してしまい、アルデンヌ北部突破ルートはパイパー戦闘団が開いた狭い攻撃路に限られることとなった。この後、作戦の主力は第6SS装甲軍ではなく、戦線中央を進撃する第5装甲軍となっていく。
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