北海道の馬橇とは? わかりやすく解説

北海道の馬橇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 01:10 UTC 版)

馬橇」の記事における「北海道の馬橇」の解説

1874年明治7年)に、開拓使樺太から「馬車」(馬橇のこと)と「曳馬鉄沓」(蹄鉄のこと)を購入したのが北海道最初馬橇とされている。当時官吏操作方法学んだり、複製品製作しようとしたが、部材加工技術がないためうまくいかず、普及はしなかった。1876年明治9年)にも札幌農学校の官園で導入試みているが、普及していない。 1878年明治11年)に、開拓長官黒田清隆ロシアウラジオストックコルサコフ視察し現地見た馬橇がたいへん便利であることを知った黒田馬橇1台、乗用馬車2両と馬4頭を購入したほか、ロシア人の馬製作職人3名と契約かわして北海道へ招聘した。北海道に戻ると、ロシア人指導開拓使工業局で馬橇馬車の製作が行われ、開拓使廃止になるまでの4年間で乗馬車7両、荷馬車282両、乗用馬19台、荷用馬橇420台を製造した。この大半民間払い下げられたが、一部陸軍にわたり、札幌手宮を結ぶ馬橇馬車定期便事業充てられた。 札幌改良され馬橇北海道全域普及し1940年代昭和15年頃)には北海道内だけで12台あまりの馬橇運用されていた。特別な技術要する業(馬車・馬製造業)は重要な職工のひとつで、各地共進会出品されることもあった。 昭和10年代後半から20年代にかけては馬橇や馬が軍用徴発されて数が減ったが、終戦後に再び利用始まり昭和30年代から自動車にとってかわられた。しかし道路舗装整備未発達地域冬期除雪が行届かない地域では引き続き使われ昭和40年代実用のものは概ね姿を消した。現在では「シャンシャン馬そり」と称して各地で冬の観光資源一つとなっているほか、ばんえい競走では通常の競馬とは大きく異なる独特の競馬用いられている。

※この「北海道の馬橇」の解説は、「馬橇」の解説の一部です。
「北海道の馬橇」を含む「馬橇」の記事については、「馬橇」の概要を参照ください。

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