北九州・筑豊
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「昭和28年西日本水害」の記事における「北九州・筑豊」の解説
北九州市は当時門司市(門司区)、小倉市(小倉北区・小倉南区)、八幡市(八幡東区・八幡西区)などに分かれていたが、ほぼ全域で豪雨が降り注いだ。降り始めからの雨量は門司で646.1ミリ、小倉で544ミリ、八幡で501ミリなどの記録的な豪雨となった。特に小倉市では、本水害において最大となる時間雨量101ミリを記録する猛烈な雨を記録した。筑豊地方でも、田川郡添田町で687.4ミリ、英彦山で632.8ミリ、直方市で571.2ミリ、飯塚市で534.8ミリとなり、この地域を流れる遠賀川水系、紫川水系、今川水系などが氾濫した。 特に被害が顕著だったのは門司市街地である。降水量646.1ミリを記録する豪雨は現在新関門トンネルが通過している戸の上山をはじめとした風師・戸の上山系へと降り注ぎ、山腹崩壊という形で、門司市街や門司港周辺へと土石流やがけ崩れとなって押し寄せた。その崩落箇所は600か所にもおよび、北九州地域における豪雨死者の大半を出す結果になった。隣接する小倉市街地では、紫川や板櫃川など中小河川の氾濫によって市内の80%が浸水し、井筒屋小倉本店前でも腰まで水に浸かる水位となった。紫川流域は、上流部は現在のます渕ダム付近および日田彦山線呼野駅付近から、下流は河口に至るまでほぼすべて浸水した。門司・小倉・八幡3市における被害の合計は死者183名、全壊家屋3,812棟、浸水家屋7万9,123棟におよび、現在に至るまで過去最悪の豪雨被害となった。北九州市では今回の水害を、特に北九州大水害と呼んでいる。 また遠賀川水系でも、遠賀川本流や支流の彦山川・福地川・犬鳴川などが氾濫し、流域の飯塚市や田川市、田川郡などで浸水被害をおよぼした。遠賀川は鞍手郡植木町(直方市)で堤防決壊を起こし、下流の農地や人家を水没させた。上流部の田川地方では、当時多くの中小規模の炭鉱があり、多数の坑道や社宅が水没。さらに炭鉱に付随する多数のボタ山が豪雨により崩壊し、大量のボタが遠賀川やその支流に流入、河床(川底)の上昇を来たして堤防決壊や越流を助長した。遠賀川流域では、堤防決壊・損壊138か所、橋梁11か所が流失し、9か所が損壊している。豊前地域でも河川の氾濫による被害が多く、京都(みやこ)郡では今川や祓(はらい)川などの氾濫で堤防が決壊。築上郡では山国川を始め、城井川や佐井川の氾濫で死者1名、負傷者274名、全壊家屋2棟、半壊家屋10棟、床上浸水306棟、床下浸水1,810棟という大きな被害を受けている。
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