北九州・筑豊とは? わかりやすく解説

北九州・筑豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 04:31 UTC 版)

昭和28年西日本水害」の記事における「北九州・筑豊」の解説

北九州市当時門司市門司区)、小倉市小倉北区小倉南区)、八幡市八幡東区八幡西区)などに分かれていたが、ほぼ全域豪雨降り注いだ降り始めからの雨量門司で646.1ミリ小倉で544ミリ八幡501ミリなどの記録的な豪雨となった。特に小倉市では、本水害において最大となる時間雨量101ミリ記録する猛烈な雨記録した筑豊地方でも、田川郡添田町で687.4ミリ英彦山で632.8ミリ直方市で571.2ミリ飯塚市で534.8ミリとなり、この地域流れ遠賀川水系紫川水系今川水系などが氾濫した。 特に被害顕著だったのは門司市街地である。降水量646.1ミリ記録する豪雨は現在新関門トンネル通過している戸の上山をはじめとした風師・戸の上山系へと降り注ぎ山腹崩壊という形で、門司市街や門司港周辺へと土石流がけ崩れとなって押し寄せた。その崩落箇所600か所にもおよび、北九州地域における豪雨死者大半を出す結果になった隣接する小倉市街地では、紫川板櫃川など中小河川氾濫によって市内80%が浸水し井筒屋小倉本店前でも腰まで浸かる水位となった紫川流域は、上流部現在のます渕ダム付近および日田彦山線呼野駅付近から、下流河口に至るまでほぼすべて浸水した門司小倉八幡3市における被害合計死者183名、全壊家屋3,812棟、浸水家屋79,123棟におよび、現在に至るまで過去最悪豪雨被害となった北九州市では今回水害を、特に北九州大水害と呼んでいる。 また遠賀川水系でも、遠賀川本流支流彦山川福地川犬鳴川などが氾濫し流域飯塚市田川市田川郡などで浸水被害およぼした遠賀川鞍手郡植木町直方市)で堤防決壊起こし下流農地人家水没させた。上流部田川地方では、当時多く中小規模炭鉱があり、多数坑道社宅水没。さらに炭鉱付随する多数ボタ山豪雨により崩壊し大量ボタ遠賀川やその支流流入河床川底の上昇を来たし堤防決壊越流助長した。遠賀川流域では、堤防決壊損壊138か所、橋梁11か所が流失し、9か所が損壊している。豊前地域でも河川の氾濫による被害多く京都(みやこ)郡では今川や祓(はらい)川などの氾濫堤防決壊築上郡では山国川始め城井川佐井川氾濫死者1名、負傷者274名、全壊家屋2棟半壊家屋10棟、床上浸水306棟、床下浸水1,810棟という大きな被害受けている。

※この「北九州・筑豊」の解説は、「昭和28年西日本水害」の解説の一部です。
「北九州・筑豊」を含む「昭和28年西日本水害」の記事については、「昭和28年西日本水害」の概要を参照ください。

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