山腹崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/22 07:31 UTC 版)
1586年(天正13年)に発生した天正地震により西側山腹が大崩壊を起こした。崩落した土砂により麓の庄川が河道を閉塞させ、堰き止め湖(天然ダム)が形成されたほどだったという。約400年の時間が経過した現在においてもなお、山頂付近から二つに割れた地形が確認できる。 また、この頃帰雲山付近(正確な場所は未特定)にあった戦国武将・内ヶ島氏理の居城「帰雲城」、及び300〜400戸あったとされる城下町が崩落した土砂により完全に埋没し、内ヶ島氏一族郎党を含む、領民の殆どが壊滅、死亡した(史書により異なるが、たまたま他の国に出ていて難を逃れた数人の領民を除いて、ことごとく死亡したとある)。内ヶ島氏は鉱山師でもあったと伝えられ、戦国武将の中では大量の金を保有していたとされることから、城跡には埋蔵金が埋まっているのではないかと考えられている。
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