勅令第142号の公布と満鉄設立委員の任命
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「南満洲鉄道」の記事における「勅令第142号の公布と満鉄設立委員の任命」の解説
1906年6月7日、明治39年勅令第142号「南満洲鉄道株式会社ニ関スル件」が公布された。この勅令は付則をふくめて22か条から成り、業務を鉄道運輸業とし(第1条)、株式は日清両国政府・日清両国人に限って所有を認めることとし(第2条)、日本政府は、炭坑をふくめた満鉄の財産による現物出資ができるものとした(第3条)。本社を東京市、支社を大連におくこと(第6条、ただし1907年3月5日の勅令第22号により本社を大連、支社を東京市に改めた)、役員は総裁1名、副総裁1名、理事4名以上を置き(第7条)、総裁・副総裁は勅裁を経て政府が任命すること(第9条)、政府は会社の業務監視のため南満洲鉄道株式会社監理官を置くこと(第12条)が定められた。同勅令の付則には設立委員の規定があり、定款の作成と第1回株式募集等がその任務とされた。 7月13日、第1次西園寺内閣は、児玉を設立委員長とする80名におよぶ満鉄設立委員を任命した。この委員のなかには京釜鉄道会社の設立にもかかわった渋沢栄一、竹内綱といった財界人、のちに満鉄総裁となる仙石貢や野戦鉄道提理だった武内徹といった技術者、外務省からは山座円次郎政務局長、石井菊次郎通商局長、関東州民政署事務官の関屋貞三郎、ほかに大蔵省、逓信省など関係省庁の官僚、貴衆両院の議員、さらに軍部首脳もふくまれていた。こうした顔ぶれは、純粋な民間企業というよりは国策会社としての性格の濃いものであったことを示している。 上記のように、設立委員が定款の作成にあたることになっており、定款の調査委員は調査委員長が渋沢栄一、以下、山座円次郎、岡野敬次郎、荒井賢太郎、仲小路廉、山之内一次、和田彦次郎、堀田正養、大石正巳、土居通夫、中野武麿、大岡育造、佐々友房の計13名であった。このうち、山座・荒井・仲小路の3名は1月発足の満洲経営委員会(委員長は児玉源太郎)の当初メンバー6名にも名を連ねており、株式会社組織をとりながら同時に政府機関としての性格をもたせる役割をになった。こうしたなか、設立委員長だった児玉源太郎が7月23日に急逝し、24日には喪が発せられた。25日、新委員長に就任したのは寺内正毅陸軍大将であった。
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1906年6月7日、明治39年勅令第142号「南満洲鉄道株式会社ニ関スル件」が公布された。この勅令は付則をふくめて22か条から成り、業務を鉄道運輸業とし(第1条)、株式は日清両国政府・日清両国人に限って所有を認めることとし(第2条)、日本政府は、炭坑をふくめた満鉄の財産による現物出資ができるものとした(第3条)。本社を東京市、支社を大連におくこと(第6条、ただし1907年3月5日の勅令第22号により本社を大連、支社を東京市に改めた)、役員は総裁1名、副総裁1名、理事4名以上を置き(第7条)、総裁・副総裁は勅裁を経て政府が任命すること(第9条)、政府は会社の業務監視のため南満洲鉄道株式会社監理官を置くこと(第12条)が定められた。同勅令の付則には設立委員の規定があり、定款の作成と第1回株式募集等がその任務とされた。 7月13日、第1次西園寺内閣は、児玉を設立委員長とする80名におよぶ満鉄設立委員を任命した。この委員のなかには京釜鉄道会社の設立にもかかわった渋沢栄一、竹内綱といった財界人、のちに満鉄総裁となる仙石貢や野戦鉄道提理だった武内徹といった技術者、外務省からは山座円次郎政務局長、石井菊次郎通商局長、関東州民政署事務官の関屋貞三郎、ほかに大蔵省、逓信省など関係省庁の官僚、貴衆両院の議員、さらに軍部首脳もふくまれていた。こうした顔ぶれは、純粋な民間企業というよりは国策会社としての性格の濃いものであったことを示している。 上記のように、設立委員が定款の作成にあたることになっており、定款の調査委員は調査委員長が渋沢栄一、以下、山座円次郎、岡野敬次郎、荒井賢太郎、仲小路廉、山之内一次、和田彦次郎、堀田正養、大石正巳、土居通夫、中野武麿、大岡育造、佐々友房の計13名であった。このうち、山座・荒井・仲小路の3名は1月発足の満洲経営委員会(委員長は児玉源太郎)の当初メンバー6名にも名を連ねており、株式会社組織をとりながら同時に政府機関としての性格をもたせる役割をになった。こうしたなか、設立委員長だった児玉源太郎が7月23日に急逝し、24日には喪が発せられた。25日、新委員長に就任したのは寺内正毅陸軍大将であった。
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