勅令の発布とユグノー難民
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「ポツダム勅令 (1685年)」の記事における「勅令の発布とユグノー難民」の解説
1685年10月29日、ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムは、フランス出身の政治家ジャック・アバディらの運動を受けてポツダム勅令を発布した。選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルムの行動は素早かった。勅令発布の11日後の1685年11月9日には、この勅令はフランス語、オランダ語にも翻訳され、印刷・頒布された。そして、フランスのプロテスタントの多い地域に、運び屋や地元のプロテスタントのネットワークを介して迅速に広められたのである。 ネーデルラントのカトザントなどの港に、多くの宗教難民が海路で亡命してきた。アムステルダムに駐在していたブランデンブルクの外交官たちは、この難民をさらにハンブルクまで送り、そこからエルベ川を遡ってブランデンブルク=プロイセンの中心地まで至れるよう手配した。また東・南フランスのプロテスタントは、スダン経由でブランデンブルク支配下のクレーフェに流れ込んだ。フリードリヒ・ヴィルヘルムは、彼らがその地に定着したり、ライン川を通してさらに東へ向かったりできるよう取り計らった。
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