勃興~発展期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/07 21:38 UTC 版)
「ノースサイド・ギャング」の記事における「勃興~発展期」の解説
オバニオンはノースサイド・ギャングが保有している蒸留所の一部をサウスサイド・ギャングに売却することを拒否し、他のアイルランド系やイタリア系ギャングとも敵対するようになっていった。緊張が高まり、オバニオンとサウスサイド・ギャングのボスであるジョニー・トーリオとの間で会談が開かれた。しかしオバニオンはしばしばイタリア系を侮辱し、加えて秘密裏にサウスサイド・ギャングが輸送するビールを強奪した。さらにオバニオンは1921年にアイルランド系ギャングのラーガンズ・コルツのメンバーを銃撃し、更に緊張が高まった。 オバニオンと副官であるハイミー・ワイスは1922年に窃盗の罪で逮捕されたが、シカゴ市警の手厚い保護を受けた。さらに警察幹部及び民主党と共和党の政治家を多数招いて大規模な晩餐会を開催した。その有様は「ベルシャザルの宴会」とマスコミからあだ名され、シカゴ市長が調査を行うほどであった。1924年には4人の警察官の護衛付きで蒸留所から価格にして10万ドル相当にも及ぶウイスキー1750本を白昼堂々奪い取った(護衛した警察官たちは起訴され、即刻解雇された)。 ノースサイド・ギャングとサウスサイド・ギャングの緊張は日を追うごとに高まっていった。1924年の初めごろ、ウニオーネ・シチリオーネ(シシリア人連合)の会長であるマイク・メルロの仲介により和解が成立したが、今度はジェンナ兄弟との間でトラブルが発生した。彼らは粗悪な密造酒を作成してノースサイド・ギャングの縄張りに流しており、加えてカジノの借金に伴うトラブルまで発生した。トーリオは争いを避けるため、ジェンナ兄弟に借金を返すよう説得した。一方でトーリオもオバニオンに腹を立てていた。ビールの醸造所をオバニオンから購入したが、1924年5月19日に警察の手入れを受けて逮捕されてしまった。実はオバニオンが警察に情報を流し、トーリオが逮捕されるように仕向けたのだった。釈放後に真相を知ったトーリオは激怒し、ジェンナ兄弟のオバニオンに対する攻撃要請を承認した。
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