力を用いること自体の授権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:48 UTC 版)
「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「力を用いること自体の授権」の解説
なお、「1946年2月4日民政局の会合の要録〔民政局がマッカーサー草案の起草に着手した際の模様〕」には、ホイットニーの言として、「力の行使」に関する次のような記録が存在する。 自分としては、外務大臣とそのグループに、天皇を護持し、かつ彼等自身の権力として残っているものを維持するための唯一の可能な道は、はっきりと左よりの〔進歩的な〕道をとることを要請するような憲法を受け容れ、これを認めることだ、ということを納得させるつもりである。自分は説得を通じてこういう結論に達したいと希望しているが、説得の道が不可能なときには、力を用いるといっておどかすだけでなく、力をもちいること自体の授権を、マッカーサー将軍からえている。 — 「1946年2月4日民政局の会合の要録」より このことに関し、高柳賢三は、次のように述べている。 この点について、会議に出席していたラウエルは、高柳に寄せた手紙のなかで、この文書は会議のサマリーであるが、この個所は、サマリーを作った者の解釈で書かれたもので、不正確である。このような授権はことの性質上あり得ないものであって、その誤りであることは明白であると言っている。さらにラウエルは、この会議で、ホイットニー准将は、SWVCC-228について説明し、SWVCC-228の実行に当たっては、一定の事態の下では、マッカーサー元帥が、力のおどしないし力の行使が許されているということを指摘したのであると言っている。(略)そして、ラウエルは、右の手紙で、憲法改正についても、マッカーサー元帥は、命令を出して日本政府に強要する権限は与えられていたが、憲法改正に際し、このようなことは起こらなかった。日本政府に対する民政局の行った最も強い回答は、日本政府の提案はポツダム宣言に合致しないので総司令部の承認し得ないものであるとしたことだけであったといっているのである。 — 高柳宛ラウエル書簡より ラウエルは、1964年9月2日、高柳への手紙と同趣旨をカリフォルニア州フレズノ・カウンティの公証人を前にして、宣誓口述している。ラウエルは1946年2月4日の会合に、最初から終わりまで出席していた人間として、次のように宣誓した。 この口述宣誓書を添付する「1946年2月4日民政局の会合の要録」と題する文書中、その第5段にある「説得の道が不可能なときには、力を用いるといっておどかすだけでなく、力をもちいること自体の授権を、マッカーサー将軍からえている」との個所は、この要録にある〔上記〕文言で述べられたこともなく、また実質的にそれと同趣旨のことが述べられたこともない。マイクロ・E・ラウエル(署名) — ラウエルの宣誓口述より ラウエルのこの口述宣誓書は『日本国憲法制定の過程』Iに収録されているが、その理由を、高柳は「かなり年月がたってから作られた文書ではあるが、問題が極めて重要な点に関するだけに、ここに掲げておく」としている。
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