制定の過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/09 14:51 UTC 版)
平時にあっては内地に常設師団があり、司令部や衛戍地の位置が決まっているため部隊名称を秘匿する必要は薄いが、戦時には編制・兵種(兵科)・動員について敵軍に推知される虞があるため部隊の正式名称を秘匿した。満州事変までは特に部隊名は秘匿しなかったが、1937年(昭和12年)9月1日の「動員部隊の称呼名に関する件」制定により、外地(戦地)にある部隊を部隊指揮官の姓から「山田部隊」や「鈴木部隊」とした。この方式では戦争が激化し指揮官の異動や戦死が多くなるとその都度変えなければならず、1940年(昭和15年)9月10日の「昭和16年度陸軍動員計画令細則」から漢字一字からなる「兵団文字符(文字符)」を師団・独立混成旅団などの独立した作戦能力を持つ単位に割り当て、その隷下部隊には数字3桁から5桁の「通称番号」を割り当てた。その上級部隊が変更されると隷下部隊の文字符は当然変更されるが、通称番号は原則固有のものであり変更されない。 例として、1938年(昭和13年)の日中戦争(支那事変)当時に治安維持を目的として編成された三単位制師団で、満州に派遣されのちにノモンハン事件に動員された第23師団の場合、ノモンハン事件時の秘匿名は師団長小松原道太郎陸軍中将の姓から「小松原兵団」と呼ばれたが、のちの太平洋戦争(大東亜戦争)時は「旭兵団」となっている。
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