副将被斬とは? わかりやすく解説

副将被斬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 14:55 UTC 版)

平家物語の内容」の記事における「副将被斬」の解説

賀茂河原宗盛次男副将切られた。

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副将被斬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 17:11 UTC 版)

平能宗」の記事における「副将被斬」の解説

『平家物語』には一章を設けて、幼い能宗最後の日々克明に描写され平家滅亡悲劇性強調する逸話となっている(以下要約)。 宗盛鎌倉護送される直前5月4日宗盛源義経懇願して壇ノ浦捕虜となってから初め副将能宗)と対面する久しぶりに父と会った副将喜んで宗盛の膝に上り宗盛涙ながらに副将の髪を撫で出産直後亡くなった副将の母から自分形見してほしいとの遺言語り、清宗、警護武士乳母たちはみな涙で袖をぬらした。日が暮れて別れの時が来たが、副将泣いて宗盛の袖に取りすがり、帰ろうとしない乳母能宗抱き取って御車乗せて帰ると、見送った宗盛は「今の悲しみ比べれば日頃恋しさはものの数ではなかった」と嘆いた副将預かった河越重房は、鎌倉へは連れて行かず、京で処置するようにとの義経の命を受け、「若君は京に留まるので、緒方惟義が預かる手はずになっています」と御車差し向けた副将は「また昨日のように父上ところへ参るのか」と喜んで車に乗ると、車は六条通り東へ向かい同行した乳母たちは動揺する六条河原到着し、車を降りた副将不審思い重房郎党に斬られそうになる逃げ出して乳母ふところ隠れた乳母たちは副将抱きかかえて泣き叫び武士達は憐れんだが、時刻がかなり経過したので重房は「今どのよう思われても、望みかなえられません。さあ早く」と促し武士たちは乳母ふところから副将引き出して首を切ったさすがに武士達もそのいたましさに涙を流した副将の首は義経届けられたが、乳母たちは裸足追いかけ後世弔いたいと願い、首を取り戻した数日後乳母一人が首をふところに、一人亡骸抱いて桂川身を投げた。 『延慶本』での副将処刑は、石を入れた籠の中に入れ桂川沈め柴漬ふしづけ)という方法殺害され二人乳母出家しになったとされる

※この「副将被斬」の解説は、「平能宗」の解説の一部です。
「副将被斬」を含む「平能宗」の記事については、「平能宗」の概要を参照ください。

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