前田淑
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前田 淑(まえだ よし、1921年[1] - 2020年)は、日本の国文学者。専門は日本近世文学。近世の女性旅日記などの近世女性文学を研究した[2][3]。福岡女学院短期大学名誉教授[1]。
福岡市生まれ[1]。福岡県女子専門学校文科研究科卒業[1]、法政大学文学部日本文学科卒業[1]。福岡女学院短期大学助教授、教授を務める。1999年「江戸時代女流文芸史 地方を中心に」で九州大学文学博士。
編著書
- 『江戸時代女流文芸史 地方を中心に 旅日記編』笠間書院 1998
- 『江戸時代女流文芸史 地方を中心に 俳諧・和歌・漢詩編』笠間書院 1999
- 『近世女人の旅日記集』編 葦書房 2001
- 『近世福岡地方女流文芸集』編 葦書房 2001
- 『百合若説話の世界』弦書房 2003
- 『近世地方女流文芸拾遺』編 弦書房 2005
- 『大宰府万葉の世界』弦書房 2007
- 『伊藤常足と福岡の人々 筑前の国学者』弦書房 2009
- 『故郷はいらない 百年戦争祟りからの蘇り』日本文学館 2009
論文
脚注
前田淑
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江戸期の福岡県の女流文学研究者である前田淑による評論は以下の通りである。 『窈窕稿』に収められた漢詩は、前に述べたように少琹が十八歳ごろまでの作品であるが、父昭陽の薫陶の成果であろうか、あるいは亀井一族の作風であろうか、実に堂々とした風格をもっている —前田 淑、『江戸時代女流文芸史(俳諧・和歌・漢詩 編)』笠間書院、1999年、282頁 また、『近世地方女流文芸拾遺』には、 「少琹については、その知名度に比べて、漢詩人としての業績は、まとめられたものが少く、どちらかと言えば絵画や書跡の分野で知られた女性である。特に閨秀画家としての名声は『画乗要略(がじょうようりゃく)』(白井華陽著、天保二年序)、『古今南画要覧(ここんなんがようらん)』(嘉永六年序)にもその名が記されるほど、当代一流の画家として、全国的に著名な女性であった。勿論、漢詩についても、本著にみられるように、すでに十代の若い頃から父昭陽の薫陶をうけていたのであるが、その作はあまり陽の目をみることなく、永く亀井家に架蔵されたままになっていた。筆者は先年、少琹の小伝を書くにあたり(「福岡女学院短大紀要」第16号参照)、後裔である亀井准輔氏のご好意により、その作品の大略を披見することができた。 —前田 淑、『近世地方女流文芸拾遺』弦書房、2005年 481-482頁 と記載されている。
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