前半生 生い立ちから戦間期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/24 17:24 UTC 版)
「ロバート・C・ギッフェン」の記事における「前半生 生い立ちから戦間期」の解説
“アイク”こと、ロバート・カーライル・ギッフェンは1886年6月29日、ペンシルベニア州ウェストチェスターに生まれる。インディアナ州サウスベンドのノートルダム大学を経て、ネブラスカ州の推薦を得て海軍兵学校(アナポリス)に進み、1907年に卒業。卒業年次から「アナポリス1907年組」と呼称されたこの世代の同期には、第5艦隊を指揮したレイモンド・スプルーアンス、アメリカ海軍航空隊における初期のパイロットの一人で真珠湾攻撃の際に「真珠湾攻撃さる、これは演習ではない」と放送したパトリック・ベリンジャー、NC-4機長として大西洋横断に成功したアルバート・カッシング・リード(英語版)らがいる。アナポリス卒業後、士官候補生となったギッフェンは戦艦「バージニア」 (USS Virginia, BB-13) 乗組みとなり、間もなくグレート・ホワイト・フリートの世界巡航の航海に参加する。1909年に航海が終了したあとの4年間、ギッフェンはさまざまな艦船に乗り組み、一方で全米ライフル選手権にも定期的に参加した。中尉に昇進すると1913年から1915年にかけてワシントン海軍工廠に勤務し、次いで駆逐艦「ウェインライト(英語版)」 (USS Wainwright, DD-62) に配属される。アメリカが第一次世界大戦に参戦ののち、少佐になっていたギッフェンは駆逐艦「トリップ」 (USS Trippe, DD-33) 艦長に任命され、ヨーロッパ水域のイギリス海軍グランドフリート(英語版)のもとに派遣される第6戦艦部隊の護衛にあたる。1918年半ばから1919年8月までは地中海に移り、駆逐艦「シューレイ(英語版)」 (USS Schley, DD-103) 艦長としてジブラルタルを本拠地として行動した。 大戦終結後の1920年代から1930年代にかけてはサンフランシスコおよびワシントン州キーポート(英語版)の海軍施設での勤務や母校アナポリスでの教官などの陸上勤務を務めたあと、装甲巡洋艦「ヒューロン」 (USS Huron, CA-9) 副長、砲艦「サクラメント(英語版)」 (USS Sacramento, PG-19) 艦長、駆逐部隊司令、給油艦「ナチェス」 (USS Neches, AO-5) 艦長を歴任。大佐に昇進後の1934年から1937年の間は再び母校アナポリスの教官職に就き、1938年から1940年の間は軽巡洋艦「サバンナ」 (USS Savannah, CL-42) の艦長を務めた。
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