制定過程を巡る議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 07:35 UTC 版)
「日本国憲法第9条」の記事における「制定過程を巡る議論」の解説
法的有効性について次のような議論がある。 日本が被占領国で主権を失っていたときに半強制的に制定された歴史権益上の事実があったこと(当時の国際条約(成文国際法)は現在ほど発達しておらず、極東国際軍事裁判においても裁判官側はすべて連合国側の人物だったことなどもその証左である)、また、先述している通り、もともと、現行日本国憲法においては松本烝治を中心とした松本試案による憲法をGHQに提出しているが、GHQ側が拒否しダグラス・マッカーサーにより独自に作成されたマッカーサー草案が大本になっていること。 戦勝国である連合国側の協定(国連憲章)での「敵国条項(53条、77条、107条)」がまだ有効であったとき制定された(この敵国条項は現在死文化しており、1995年(平成7年)の国連総会で削除が採決されたが、現在も憲章に残ったままである)うえ、日本の主権が回復するのはサンフランシスコ条約効力発生時、すなわち、1952年(昭和27年)4月28日のことである。 第二次世界大戦にいたる経緯のなかで、戦勝国である連合国側の反省として、戦争拡大責任に関する歴史検証が確立される前に制定された。
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