別府町 (加古川市)とは? わかりやすく解説

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別府町 (加古川市)

(別府村 (兵庫県) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/04 14:21 UTC 版)

別府町
べふちょう
日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
自治体 加古川市
旧自治体 別府町
面積
3.29km²
世帯数
7,387世帯
総人口
18,223
推計人口、2013年4月1日現在)
人口密度
5,538.91人/km²
隣接地区 尾上町野口町平岡町加古郡播磨町
加古川市役所別府市民センター
北緯34度43分47.08秒 東経134度50分40.8秒 / 北緯34.7297444度 東経134.844667度 / 34.7297444; 134.844667座標: 北緯34度43分47.08秒 東経134度50分40.8秒 / 北緯34.7297444度 東経134.844667度 / 34.7297444; 134.844667
所在地 〒675-0132
兵庫県加古川市別府町宮田町3-3
別府町
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別府町(べふちょう)は、兵庫県加古川市の地域である。本項では、前身である加古郡別府町(べふちょう)についても述べる。

概要

別府町は、瀬戸内海に面した港町である。加古川市別府町朝日町・別府町石町・別府町新野辺・別府町新野辺北町・別府町中島町・別府町西町・別府町西脇・別府町東町・別府町別府・別府町本町・別府町緑町・別府町港町・別府町宮田町・別府町元町にあたる。南部は埋め立て地である金沢町と瀬戸内海に面し、東側は加古郡播磨町、北側は加古川市野口町・平岡町、西側は加古川市尾上町と面している。

別府町の現在の発展は、多木家と神戸製鋼を抜きにして語れない。庄屋であった多木家が興した多木化学は、戦前から国内有数の肥料メーカーとして発展し、その輸送のために建設された別府鉄道(野口線と土山線。昭和59年に廃線)とともに、地域住民に職と交通手段を提供した。

戦後、尾上〜別府の浜を失うのと引き換えに、神戸製鋼が進出、大気汚染という負の影響も与えているが、結果多くの従業員が雇用され、人口が増加した。特に北隣の平岡町は東加古川駅の設置の影響もあり、急速に人口が増加した。東隣の播磨町においても、人工島に川崎重工や神戸製鋼など多数の企業が進出し雇用が生み出され、人口が増加した。

昭和63年、多木化学が所有していた緑町の地に、イトーヨーカドーが県内初進出。それまで平岡町新在家のイオン(旧ニチイ、サティ)に一方的に流れていた平岡町・播磨町・尾上町などの周辺地域からも集客に成功した。その後も多木化学所有の隣接地にホームセンター・衣料品店・スポーツ用品店などを誘致し、加古川駅周辺、新在家のイオンと並び、市内有数の商業地を形成している。

平岡町と別府町を結ぶ県道383号八幡別府線は、週末になると南行きが明姫幹線との交差点付近から渋滞するほど多くの買い物客が訪れている。

地理

加古川河口の沖積平野で、別府川河口西側に位置する。かつては、遠浅の海が広がり、夏場は潮干狩りや海水浴で賑わっていたが[1]1964年(昭和39年)工業整備特別地域に指定され、これに伴い、海浜埋め立てが進み、1967年(昭和42年)の夏を最後に、海水浴、潮干狩り場として親しまれてきた別府海岸とその北側の地域は姿を消す事となった[2]。別府川河口には別府港があり、おもに鉄鉱品、金属機械工業品、化学工業品の輸出入が行われている[3]。大型商業施設として、イトーヨーカドー加古川店、ダイキ別府店などが出店している。

別府港

別府港は、かつて阿閇津と称し、景行天皇の時代(313年[要出典])に開発され、天正年間(1573〜1592年)には戦略上の要港として、その後、港内の改修等により播磨地域産出の物品の移出が増大し、明治維新頃まで近隣の港をしのいできた。多木製肥所(現 多木化学)の創業と事業拡大に伴い、1875年明治8年)から港内の浚渫、突堤の修築が行われ、1896年(明治29年)には県費補助指定港となり、改修作業が一層進行した。さらに大正期に入り、加古川製紙の生産能力増大や各種産業の振興などにより、1924年(大正13年)第一期修築工事が行われ、以降数回にわたって継続された。1963年(昭和38年)7月に播磨沿岸地域が工業特別地域の指定を受けたのを契機として、同年11月に、伊保港・曽根港・高砂港・二見港・別府港が東播磨港として統合され、播磨工業地帯東部地域の中核をなす港湾として1964年(昭和39年)2月重要港湾に指定された[4]

歴史

べふちょう
別府町
廃止日 1951年10月1日
廃止理由 編入合併
加古郡別府町加古川市
現在の自治体 加古川市
廃止時点のデータ
日本
地方 近畿地方
都道府県 兵庫県
加古郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 6,243
国勢調査1950年
隣接自治体 加古郡阿閇村加古川市
別府町役場
所在地 兵庫県加古郡別府町
座標 北緯34度43分47.0秒 東経134度50分41.2秒 / 北緯34.729722度 東経134.844778度 / 34.729722; 134.844778 (別府町)
ウィキプロジェクト
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別府の地名は、別符(特別のをもって新たに開拓された独立的性格を持つ地域[5])によって土地を開拓したことに由来し[6]、当地が阿閇本荘の別符開拓村であることに依る[7]1889年(明治22年)、新野辺、別府村、西脇村が合併して成立した。同村出身の多木久米次郎は人工肥料を開発して多木製肥所(現・多木化学)を創業し、1898年(明治31年)から過リン酸石灰の製造を手掛け、事業を順調に発展させた[8]1915年(大正4年)事業拡大に伴い、製品である肥料運搬を目的に、山陽本線と連絡する別府軽便鉄道(後の別府鉄道)を発足させ、1921年(大正10年)野口線、1923年(大正12年)土山線を開通させた。1923年(大正12年)、神戸姫路電気鉄道(山陽電鉄)が開通、別府駅が設置された。1968年(昭和43年)神戸製鋼所加古川製鉄所の稼働に伴い、多くの関連企業が進出してきた。

昭和期における合併問題において、別府町は当初、加古川町が提唱する「大播磨市」(加古郡・印南郡8町村による合併)構想に強い賛意を示していたが、町内はほかにも「東播臨海都市」(加古郡阿閇村・二見村明石郡魚住村との合併)を目指す動きや、高砂町を中心とするグループからの合併勧誘もあり、町内はなかなかまとまらなかった。別府町は港湾都市で非常に潜在能力が高い反面、それがゆえに他町村の合従連衡の際の格好の標的となってしまったのである。1950年(昭和25年)2月4日に別府町は加古川市制への参加を前提に「世論調査」を実施、合併反対が賛成を上回ったことで「大播磨市」への参加が頓挫すると、「東播臨海都市」構想が対抗馬として浮上してきた。合併自体は不可避であることから、同年5月6日に別府町は、この間に市制施行が決定した加古川市と、「阿閇村・二見村・魚住町」グループとのどちらに参加すべきかを問う住民投票を実施、結果は僅差で加古川市への参加に賛成する票が上回ったが、僅差であったがゆえに町議会協議会は紛糾し、同年6月15日の加古川市制施行に参加できなかった。その後、魚住村・二見村は明石市との合併を決め、阿閇村は住民投票の結果どの市町村とも合併しない態度を明らかにし、別府町は単独町制を維持するが加古川市と合併するか二者択一を迫られることになる。別府港拡張計画の実施には巨額の費用が必要なことから加古川市への参加を決め、1951年(昭和26年)10月1日に加古川市に編入合併することとなった[9]

沿革

交通

鉄道

かつて存在した鉄道

バス

道路

教育

公共施設

  • 東播磨港湾合同庁舎
  • 加古川海洋文化センター
  • 加古川市東消防署南分署
  • 加古川別府郵便局
  • 別府交番

関連項目

企業

寺社

  • 宝蔵寺 - 日本一古いオリーブ樹がある。
  • 別府住吉神社 - 境内にある手枕松は名松として知られている。

文化財

主な出身者

脚注

  1. ^ 加古川訪問(海水浴ができた昔の海)
  2. ^ 加古川訪問(工場が建ち並ぶ今の海)
  3. ^ 兵庫県 2011, p. 148.
  4. ^ 東播磨港について
  5. ^ 別符 べっぷコトバンク
  6. ^ 加古川市誌編集委員会 1971.
  7. ^ 石見完次著「古地名新解-加古川おもしろ誌」(新文書院、1992年12月25日発行)p.134
  8. ^ 加古郡別府村 多木久米次郎氏『日本案内. 正巻之中』(開国社, 1919)p651
  9. ^ 「加古川市史」p.801-835
  10. ^ 角川書店 1988, p. 1352.
  11. ^ 銀行変還史データベース
  12. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、362頁。ISBN 978-4-487-74410-7 
  13. ^ a b 大字名の改称

参考書籍




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