初期の諸問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/08 03:31 UTC 版)
「イニーアス・マッキントッシュ」の記事における「初期の諸問題」の解説
シャクルトンの帝国南極横断探検隊には2つの異なる部隊があった。ウェッデル海を本拠にした本隊から、シャクルトンの率いる6人が南極点を経由して大陸を横切ることになっていた。これを支援するロス海支隊は大陸の反対側、マクマード入江にあって、ロス棚氷を越えて補給物資を置き、大陸を横断してくる部隊の最終段階を支援することになっていた。マッキントッシュは当初、シャクルトンの大陸横断部隊に入ることになっていたが、ロス海支隊の指揮官指名の際に問題が生じた。ニムロド遠征の時から医師を務めるエリック・マーシャルがその指名を断り、ジョン・キング・デイビスも同様だった。シャクルトンは海軍本部の軍人からこの任務にあたる要員を得ようとしたが、断られた。ロス海支隊指導者の地位は、最終的にマッキントッシュに提案され、受容された。その乗艦はSYオーロラとなり、後にモーソンのオーストラリア南極遠征にも使われ、この時ははオーストラリアで係留されていた。シャクルトンはロス海支隊の任務は型どおりのものであり、その実行に特別の難しさはないと見ていた。 マッキントッシュは1914年10月にオーストラリアに到着し、その任務に向かったが、直ぐに大きな困難さに直面することになった。シャクルトンはロス海支隊の割り当て資金を、何の断りも予告もなしに、2,000ポンドから1,000ポンドに半減していた。マッキントッシュはその差額を寄付金を懇願して補い、さらに資金を作るために遠征につかう船を抵当にいれるよう指示されていた。さらに続いてオーロラはその購入の法的手続きが終わっていなかったので、それを抵当に入れるのも遅れた。またオーロラは広範なオーバーホールをしなければ、南極海での活動に向けられなかった。これにはイライラしているオーストラリア政府との協業が必要だった。限られた時間の中で、これらの困難さを扱わねばならなかったマッキントッシュは大きな不安を抱くようになり、オーストラリアの大衆の目には様々な混乱のある遠征隊に否定的なイメージを作ることになった。隊員の中には諦める者もおり、解任された者もいた。隊員と科学面のスタッフを集めることで最後の瞬間まで使われ、隊の全体では南極に対する経験の乏しいものになった。 シャクルトンは、1914年から1915年の南極のシーズンに横断が可能になるなら行動に移るという思惑をマッキントッシュに伝えていた。シャクルトンはウェッデル海を出発する前にこの予定の実効可能性について考え方を変えた。マッキントッシュは計画の変更について何も知らされなかった。この意思の疎通を欠いたことが、1915年1月から3月の準備不足で混乱時状態に近い補給物資を置くための旅に繋がることになった。
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