初期の貯蓄貸付組合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:25 UTC 版)
19世紀初頭、銀行業務はまだ、預金と利殖に限定したものであった。最初の貯蓄銀行であるフィラデルフィア貯蓄基金協会は、1816年12月20日に設立された。1830年代までに、そのような機関は全米各地に作られた。貯蓄貸付組合は貯金を受け付け、他の所持する資産とともに融資に使われた。革命的だったことは、貯金者及び借り手の代表によって経営方針が決められたことである。経営権の影響の度合はその機関に預けている貯金の量で決められた。 貯蓄貸付組合の究極の目標は普通の人による貯蓄と投資を促し、過去には開かれていなかった庶民への金融へのアクセスを提供することである。貯蓄貸付組合は同時に大きな買物、たいていは住宅を買う機会を責任ある善良なる借り手に提供していた。初期の貯蓄貸付組合は「隣人が隣人を助ける」業務であったわけである。 イギリスでは、最初の貯蓄銀行は1810年に神学博士でスコットランドのダムフリッシャー教会の牧師であるヘンリー・ダンカンによって設立された。そこは貯蓄銀行博物館となっており、イギリスでの貯蓄銀行運動の歴史を記録し、ヘンリー・ダンカンおよび取り巻く人々にゆかりのある物品を収集している。 しかしながら、イギリスに於けるアメリカの貯蓄貸付組合に似た組織は貯蓄銀行ではなく、1770年から存在する住宅金融組合である。
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