列車便所の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:53 UTC 版)
日本でも1872年の鉄道開業以来、しばらくの間は列車への便所設置はなかった。止むに止まれず窓から放尿したため、10円という当時としては高額の罰金を取られたという逸話があり、なお路上で放尿した時に課せられた罰金は5銭であった。この逸話はしばしば品のない戯歌とともに伝えられている。 日本で列車の車両内に便所が設置されたのは、1876年に官設鉄道神戸工場で製作された形式AJ(後の1号御料車(初代))を嚆矢とする。他には1880年に北海道の鉄道向けに貴賓車としてアメリカで製造された「開拓使号客車」の例もあるが、一般旅客向けの客車に便所が設置された最初は、山陽鉄道が1888年にイギリスから輸入した上等車であり、官設鉄道では1889年の東海道本線全線開通時である。 同年、政府高官の肥田浜五郎が、東海道本線列車が藤枝駅に停車していた際に駅便所に行っていたせいで列車に乗り遅れかけ、これに飛び乗ろうとして線路に転落死したことが鉄道車両への便所設置のきっかけになったとする通説があり、政府高官の死とあって関心が高く新聞報道もみられるが、実際にはこの事故以前から便所設置は計画されており、イギリスへの便所付客車の発注記録も残っている。これは東海道本線全線を直通する列車の運行に備えての措置である。1900年に施行された鉄道運輸規程の第32条に「三時間少クナクトモ一回五分以上停車セサル列車ニハ各客車ニ便所ノ備ヘアルコトヲ要ス」と規定され、長距離を運行する客車はほとんどが便所付で新製されるようになる。 初期の便所付き客車における図面上の便所区画を見ると、貴賓車・上等車では同時期の欧米同様に、平らな腰掛け中央に丸穴を開けて腰掛け式便座とした洋式便所が導入されていたことがうかがえるが、当時の日本の実情には適さず、早期に和式便所に移行した。
※この「列車便所の設置」の解説は、「列車便所」の解説の一部です。
「列車便所の設置」を含む「列車便所」の記事については、「列車便所」の概要を参照ください。
- 列車便所の設置のページへのリンク