分析への当事者の拒否感
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 08:51 UTC 版)
1970年代の少女マンガにおける少年愛ものが誕生し注目を集めた時から、「彼女たちはなぜこうした物語を好むのか」という疑問も生まれ、以後当事者に向けて連綿と問いかけられている。永久保陽子によれば、この問いへの拒否感にはやおい・ボーイズラブにポルノグラフィとしての側面があることが関係しているという。男性の場合、若年者向けのものを含む多くのメディアで男性の性的欲望を肯定するようなメッセージが流布している社会的状況があるが、女性の場合は性的欲望を持つことを自認することすら抑圧されており、欲望の対象を事細かに分析されることには耐えられないのだと考えられる。BL作家の水戸泉は、同人が広く知られ、多くの作家が同人経由でプロデビューする昨今でも腐女子が隠れていたいと願うのは、「性的主体としての自分の存在を隠したい、好奇の視線にさらされたくないという保身」であり、保身そのものは決して否定されるべきではないと述べている。世間から隠れていたいという思い、同じ腐女子からの同調圧力から、マスコミの取材に応じる腐女子は少ない。 石田美紀は「彼女たちはなぜこうした物語を好むのか」という疑問は「実に居心地の悪いものである。質問者に悪気がないときほど、居たたまれない。なぜなら、それが口に出されることじたいが、やおい・BLとその支持者が問題視されている証であるし、またその問いに真剣に答えようとすればするほど、モテるのかどうか、恋人がいるかどうか、性的経験はどのようなものか・・・というあけすけな問いを果てしなく呼び起こしてしまうからだ。」と述べている。この問いかけには回答者に全人格をさらけ出すことを求めるような不思議な強制力があり、腐女子自身も問いそのものを内面化してしまい、何とか答えようと焦り、答えに詰まった時は「ほっといてください」と開き直る。やおい・BLジャンルが腐女子の実存に関わる一方、パラレルな存在と言っていい「男性向け魔法少女もの」の愛好者の男性たちは、腐女子を苛む状況から全く自由で、なぜこうした作品を好むのか問われたり、自問したり、自身の実存について考えることはほとんどない。この差異は世間における男女の立場の違いから生じる。近年では、腐女子の実存をほじくるのではなく、豊かな表現領域としてやおい・BL作品をただ論じることも増えている。 斎藤環は、やおい分析が当事者から嫌われる理由として、一般に女性の欲望は(ジャック・ラカンのいう)「他者の享楽」であり、それは言語による理解を超越しているため経験することができても語ることはできないということが関係しているかもしれないと推測している。 石田仁はこのような腐女子たちの態度を「一時的な自律ゾーニングの営み」と評価し、やおい表現がゲイ男性の表象を横奪している可能性についての議論を無化するものとして批判している。
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