函館市電譲渡後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 05:19 UTC 版)
「函館市交通局1000形電車」の記事における「函館市電譲渡後」の解説
1000形1001 - 1010号として、譲渡翌月の1970年3月より運行を開始した。本形式の定員96名は、譲渡当時函館市電で最大であった。 1971年(昭和46年)3月には、函館市電のワンマン化計画により、1010号を除く全車にワンマン化改造が施工されている。改造では、ワンマン機器設置の他、集電装置がビューゲルからZ型パンタグラフに交換され、前面窓配置もHゴム固定の非対称・変則2枚窓となった。塗色も上半部アイボリー・下半部アイスランドグリーンの函館市電の当時の標準色に変更された。同年10月には、全車に対して暖房装置(灯油燃焼式)が取り付けられた。 1971年(昭和46年)8月に1010号が、1973年(昭和48年)10月には4両(1001 - 1003・1009)がMGの不調を理由に廃車となった。度重なるMGの不調や高速走行時の横揺れが問題となり、1985年(昭和60年)まで指定留置車として駒場車庫に長期間留置された。この間路線縮小による余剰車と予備部品確保のため、1979年(昭和54年)3月に1004号、1985年5月に1005号が廃車となった。このうち、1005号は廃車の際に1007号と車番を交換している。 1985年に指定留置車から解除された3両(1006 - 1008)は運用復帰後、広告車両として活躍した。1989年(平成元年)時点では、在来車と比較して主電動機出力が高く、下り勾配区間で抵抗器を痛める恐れがあることから、原則として急勾配が続く谷地頭 - 宝来町に入らない運用に用いられていた。 1007号は、1993年(平成5年)に「函館都電倶楽部」が中心となり、東京都電時代の塗装(クリーム地にエンジ帯)へと塗り替えられた。2000年(平成12年)12月から暫くの間、「はこだてクリスマスファンタジー」関連の塗装に変更されたものの、期間終了後に都電色に再復元され、廃車となるまで都電色で運行された[要出典]。
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