写真が社会に与えた影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/26 08:00 UTC 版)
「コザラから来た少女」の記事における「写真が社会に与えた影響」の解説
戦争は人民解放軍が勝利を収め、共産主義政権下のユーゴスラヴィアにおいて、「コザルチャンカ」は理想的な戦時ポートレイト、いわば「イコン」となった。この写真は、多くの女性が一丸となって、義勇兵としてパルチザン闘争に身を投じたことを象徴した。この写真には、南スラヴ人全体の国家を成り立たせた闘争としてのパルチザンは、正しい闘争だったのだと訴えかける力もあった。ティトー率いる戦後のユーゴスラヴィア政府は、政府公認のパルチザンの語り部たちをプロパガンダに用いた。彼らは、体制の正当化と、複合民族国家における一つの共通した国民感情を作り上げることに奉仕した。パルチザン女性はこのナラティヴ・ヒストリーにおいて重要な位置を占めた。「コザルチャンカ」は、学校教科書に繰り返し取り上げられたほか、戦時中の出来事を検証する論文やプロパガンダポスターなど、多様な媒体で言及された。この大衆向けの偶像は、革命家の情熱と美しさを称揚した。「コザルチャンカ」がいかにユーゴスラヴィア社会に浸透していたかを示す一例として、ユーゴスラヴィアのポピュラーソングバンド、メルリンが1986年に発表したアルバムのジャケットデザインを挙げる。同ジャケットの表面には銃が見えないようにクロップされた「コザルチャンカ」が、裏面にはマリリン・モンローの写真がフィーチャーされていた(訳注:マリリン・モンローと同格かそれ以上に大衆のアイコンだったことを示す)。写真のヒロインが醸し出す神話的なオーラにとっては、そのヒロインについての正確な知識情報は、まったく必要でなく、また、有害ですらあった。そのため、このヒロインがだれなのかということは一般大衆には伏せられたままであった。明らかになったのは、この写真が放つイデオロギー上のメッセージが陳腐化したとき以降、すなわち、ユーゴスラヴィアその他のヨーロッパ諸国で共産主義が崩壊したとき(東欧革命)以後のことであった。
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