写植書体としての開発・発売
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 09:38 UTC 版)
「リュウミン」の記事における「写植書体としての開発・発売」の解説
リュウミンのタイプフェイスは、1902年大阪に創業した活字メーカー森川龍文堂(もりかわりょうぶんどう)の明朝体「新体明朝」四号活字をモデルにしたとされる。書体名は、森川龍文堂の「龍」と明朝体の「明」を組み合わせたもの。モリサワの創業者・森澤信夫が1959年に森川龍文堂の2代目社長・森川健市から見本帳を譲り受け、これを基に文字を書き起こすことから開発が始まった。1971年と1977年の2度にわたり試験用文字盤が制作され、印刷現場における試用結果に基づく調整が施された。 1982年に手動写真植字機の文字盤としてリュウミンL-KL(大がな、当初は「大かな」と称した)・L-KS(小がな、当初は「標準かな」と称した)が発売された。その後、ウエイト(太さ)と仮名のバリエーションを拡充するファミリー化が進められた。この際小塚昌彦の監修の下、筆の雰囲気を弱め、直線を主体とする方向でリデザインされた。 1985年にR/M、1986年にB/H、1992年にEB/U、1993年にEHがそれぞれ発売された。 モリサワはリュウミンについて「金属活字に由来する彫刻刀の冴えを、左右のハライや点の形に活かしながらも、縦画・横画の先端やウロコにはやわらかさをもたせ」たと謳っている。1986年、リュウミン5ウエイト化に際して「正調明朝体」と銘打ち、田中一光が制作した広告ポスター「新古典主義」では文字のエレメントを紙面いっぱいに拡大し、先述の特徴を引き出したデザインが用いられた。
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