再び先発へ(2005年 - 2008年)
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「ジョン・スモルツ」の記事における「再び先発へ(2005年 - 2008年)」の解説
シカゴ・カブスとのディビジョンシリーズ終了後、「僕の夢は先発のマウンドに立って、マーク・プライアーと投げ合うことだ」と発言していたスモルツは、2005年から先発に再転向。また、球団とは2006年までの2年総額2000万ドルの契約(2007年は球団オプション)に合意。 2006年にはリーグ最多の35試合に先発登板し、シーズン最終日の登板で16勝目を挙げ1996年以来2回目の最多勝を獲得。不振に陥ったチームのエースとして存在感を発揮。シーズン途中の9月22日にはジョン・シャーホルツGMが「投球だけではなくリーダーシップも発揮してくれる。オプションの行使に疑問を持ったことは一度もない」と2007年のオプションを行使した。2007年4月26日に球団と2008年は1400万ドル、2009年と2010年はオプションで契約延長した。5月24日のニューヨーク・メッツ戦で通算200勝を達成。メジャー史上初の200勝・150セーブを挙げた投手となった。7月3日から故障者リスト入りとなったが、最短の15日間で復帰。8月19日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦ではシーズン最多の12奪三振を記録し、ニークロの2912三振の球団記録を更新。奪三振率8.62は2005年の先発転向後最高となった。 2008年4月22日のワシントン・ナショナルズ戦でに史上16人目となる3000奪三振を達成した。与四球数が1000を越える前に達成したのは史上5人目である。しかし4月28日に右肩を故障し故障者リスト入り。故障から復帰後は4年ぶりにリリーフへ再転向することとなった。6月2日に復帰したスモルツは4年ぶりのセーブ機会で登板したもののセーブに失敗。その2日後に再び右肩痛の為故障者リストに入り、6月10日に手術。シーズンの残りを全休することとなり、この年は6試合の登板に終わった。
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