再び刑事裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 00:06 UTC 版)
2000年11月のフジモリ大統領罷免以降、コリーナ部隊関係者が逮捕拘留される。2001年5月21日、ネリー・カルデロン検事総長が、コリーナ部隊の最終的責任者のフジモリ前大統領もバリオス・アルトス事件およびラ・カントゥタ事件の共犯者とする意見をペルー議会で述べる。9月には、日本に亡命していたアルベルト・フジモリが起訴される。2003年3月26日、殺人容疑も含めて、フジモリに対し、国際刑事警察機構が国際逮捕手配書を交付する。2005年11月7日、ペルー政府の要請で、チリ政府がアルベルト・フジモリを逮捕する。「フジモリは、コリーナ部隊の作戦を認識しつつ許可を与えており、また、その部隊員が本来負うべき責任から免れるのを恩赦法により手助けしていた」と検察が主張し、求刑は禁固30年である。2007年4月7日、フジモリに懲役25年の有罪判決が下る。フジモリは、バリオス・アルトス事件およびラ・カントゥタ事件について、関与を一切否定している。2010年1月3日、ペルー最高裁判所により、フジモリへの有罪判決が確定する。
※この「再び刑事裁判」の解説は、「ラ・カントゥタ事件」の解説の一部です。
「再び刑事裁判」を含む「ラ・カントゥタ事件」の記事については、「ラ・カントゥタ事件」の概要を参照ください。
- 再び刑事裁判のページへのリンク