内陸国化と相次ぐ敗戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 04:37 UTC 版)
1884年 チリとのバルパライソ条約で銅と硝石の鉱山が豊富な太平洋岸の領土(リトラル県)を割譲し、海への出口を持たない内陸国になる。保守党のグレゴリオ・パチェコが大統領になり、以降鉱山主の支配が1899年まで続く。 1888年 この頃から北部のアクレ県にブラジル人が侵入してきた。 1899年 アクレ県に入植したブラジル人ゴム労働者の反乱によりブラジルと紛争が発生し(アクレ紛争)、「アクレ共和国」(1899年 - 1903年)として半独立状態となる。同時にこの年初の日本人移民が渡り、リベラルタやトリニダのゴム農園に就労した。錫鉱山主を基盤にするラパスの自由党が反乱を起こし、スクレ・ポトシの銀鉱山主を基盤にしていた保守党支配が終わった(連邦革命)。以降自由党のホセ・パンドが大統領になり、以降自由党の支配が1920年まで続く。 1900年 自由党派がラパスを拠点としていたため、議会、政府がスクレからラパスに移転し、ラパスが事実上の首都になる。 1903年 アクレ紛争に結果的に敗北し、ゴムの一大生産地だったアクレ県をブラジルに割譲。 1904年 チリと正式に和平条約を結び、リトラル県の割譲を承認した。 1910年 錫の生産量が1890年代の20倍に達する(「錫の世紀」)。 1914年 コチャバンバの農園主らが基盤となって共和党が結成された。 1920年 クーデターにより自由党支配が終わる。 1921年 共和党のバウティスタ・サアベドラが大統領になる。在任中にスタンダード・オイル社により東部低地地帯の油田開発が進む。 1926年 共和党のエルナンド・シレスが大統領になる。 1929年 大恐慌により大打撃を受け、社会不安が起こる。 1931年 共和党右派のダニエル・サラマンカが大統領になる。7月、パラグアイと国交断絶。 1932年 6月にサラマンカ政権、植民地時代からの領土問題を持ち出し、グランチャコ地方とパラグアイ川の通行権を求めてパラグアイに宣戦布告(チャコ戦争)。 1935年 ボリビア領の東部油田地帯に侵攻したパラグアイと休戦。ボリビアの戦死者は6万5000人。ボリビア、パラグアイ共に財政は崩壊状態になった。
※この「内陸国化と相次ぐ敗戦」の解説は、「ボリビア」の解説の一部です。
「内陸国化と相次ぐ敗戦」を含む「ボリビア」の記事については、「ボリビア」の概要を参照ください。
- 内陸国化と相次ぐ敗戦のページへのリンク