内陸地方の灌漑事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:36 UTC 版)
一方、山形県内陸地方においては「諏訪堰」が1615年(慶長20年)に山形藩第二代藩主・最上家親の家臣沼沢伊勢・新野和泉によって現在の白鷹町に建設された。これは最上川本川に建設された唯一の井堰であり、これは後述する水運の発達や本川からの自然な取水が当時の技術では不可能であり、支流からの取水が容易であった事が理由とされている。1622年の最上氏改易以降の山形藩は幾多の藩主交代を経て次第に小藩化していったため、その後は見るべき灌漑施策は余りなかった。
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