内戦と救助活動・猫との交流
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「モハンマド・アラー・アルジャリール」の記事における「内戦と救助活動・猫との交流」の解説
シリアでは、ハーフィズ・アル=アサド政権時代にアレッポ包囲(1970年)やハマー虐殺(1982年)などで反対派を弾圧した歴史があった。そのためアラブの春のシリアへの波及を懸念する者も多く、アルジャリールもその1人だった。 2012年5月にはアレッポ大学で政府に抗議する学生のデモがあり、2012年7月19日にはアレッポでバッシャール・アル=アサド政権の政府軍と、反体制派の自由シリア軍の戦闘が始まった。アレッポでは電気が止まり、通りで猫を多く見かけるようになった。住人が避難を始め、猫が置き去りにされるようになったためだった。 アルジャリールは、自分が政府側でも反体制側でもなく中立だと考えていた。最も被害を受ける貧しい人々の側に立つことを望み、そうした人々を助けるために救援活動に参加した。自前のミニバンを救急車として使ってボランティアをした。 戦闘が激しくなると、アルジャリール一家は東アレッポからハナーノ団地に引っ越した。店からの売り上げがほとんどなくなったために閉店し、貯金を取り崩しながらの生活となった。戦闘開始から約1ヶ月後に通りで白い猫を見かけ、子供時代に大切だった猫にちなんでルルと名付けて引き取る。それ以来、救助活動の時に猫に出会うと、エサをやったり手当をするようになった。猫を保護する理由として、イスラームの伝承集であるハディースには猫が大切にされていた逸話がある点もあげている。 2015年から、アルジャリールの活動がシリアの外でも知られるようになった。その頃には、彼は置き去りにされた60匹から70匹の猫の世話をしていた。イギリスのジャーナリストが取材をした記事でアルジャリールは注目され、テレビのインタビューも受けて「アレッポのキャットマン」と呼ばれた。アルジャリールの活動への支援も始まり、人道援助団体のカラム財団は車を提供し、NGOのシリア・チャリティは救援活動に対して月給を支払った。アルジャリールの他にも救助活動ボランティが増え、ボランティア組織のホワイト・ヘルメット(シリア民間防衛隊)とも協力をした。その間にも戦闘は次第に激化し、ボランティアの死亡も起きた。政府軍はヘリコプターから樽爆弾(英語版)で市街地を爆撃し、短時間で同じ場所に爆撃するダブル・タップと呼ばれる戦法を行うようになった。これによって、救助活動に駆けつけたボランティアも危険にさらされた。アルジャリールの妻子は2015年にアレッポを去って隣国トルコへ避難し、イスタンブールで生活を始めた。
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