公記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 02:42 UTC 版)
黒澤市兵衛による7月25日の口上書は次のような記述である。 昨日大野村へ魚釣りに行き、午後2時ごろ大野川で糸を垂れていたところ、川舟に草を積んだ14,5人の百姓が引き綱で舟を引きながら通り過ぎようとして、市兵衛の体に綱をひっかけた。そこで市兵衛が「拙者が見えぬはずがないのに無礼であろう」と叱ったところ、舟を引いている者の言うには「おさむらい様の釣りはご公務のご用ではございますまい」などと悪口を叩くので、市兵衛と百姓たちは激しい口論となった。 舟乗りの1人がクイを持って市兵衛に打ってかかったので、市兵衛は刀を抜いて争ううちに、2人の百姓に傷を負わせてしまった。これを見た舟乗りたちは一斉に岸に飛び移り、クイや棒を振り上げて市兵衛に打ってかかった。少し離れて釣りをしていた連れの小貫万七が驚いて駆けつけ、市兵衛に助太刀をしたので百姓たちは逃げ去った。 そこへ大野村の肝煎がやってきて「いかがなされた」と言うので、市兵衛は「不届きの仕打ちがあったので、百姓2人を手負いにした」と言って名乗った。連れ添って村端まで来ると、先刻逃げた者や棍棒を持った大勢の村人が市兵衛に飛びかかり、散々に痛めつけた。 多勢に無勢のため市兵衛は力及ばず打ち負かされ、大小を奪われナワまで掛けようとしたので「待たれい!拙者は逃げかくれはせぬ。侍に似合わぬことがあったとしても、侍にナワを掛けるという法はない。やめられい!」と制止したが、大勢の百姓たちは市兵衛を縛り上げ、梅津家の家臣根元今右ェ門の所に引き立てようとした。 しかし、途中から大野に引き返し百姓治兵衛宅に連れ込んだ。やがて、万七の急報によってか、市兵衛の親類の者が駆けつけ、間もなく梅津家の家臣、柳田数馬がやってきて、市兵衛のナワを解いた。 久保田藩ではこの口上書を基に、百姓たちの罪科はまぬがれないものとして判決を下した。申渡しによると、武士方はむしろ武士道を立てたとして賞揚され、助太刀をした者はお構いなしとした。ただ、同僚を見捨てて現場より帰った2人が閉門になっている。一方の百姓側では、武士を面縛したということで事件の端緒をつくった2人が磔の極刑、名主はじめ多くの村人は残らず斬首刑を言い渡されている。
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