八王子抗争
八王子抗争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:11 UTC 版)
八王子抗争は1990年(平成2年)2月15日から同年2月25日までに、東京都八王子市で宅見組と二率会との間で発生した抗争事件。 1990年2月16日、宅見組組員が、八王子市横山町の二率会所有のビルに銃弾5、6発を撃ち込む。 2月17日、宅見勝ら山口組組員が、2月15日に二率会に殺害された宅見組幸田組組員の葬儀に出席するために、八王子市に集まった。 同日、東京都杉並区荻窪のアメリカ人女性の住むマンションに銃弾が撃ち込まれた。この部屋には、1989年(平成元年)9月まで、二率会系組事務所が置かれていた。 同日、八王子市小門町の二率会八王子一家組事務所に、銃弾5、6発が撃ち込まれた。 同日、八王子市高尾町の二率会系組長宅に、銃弾が撃ち込まれた。 同日、八王子市八幡町の二率会系組事務所に、銃弾4発が撃ち込まれ、警戒中の警察車両にも、銃弾1発が撃ち込まれた。 2月18日、武蔵野市の二率会系組事務所に銃弾3発を撃ち込み、宅見組系組員が逮捕された。 2月19日、八王子市横山町の二率会系八王子一家総長・宮本高三の自宅前の街宣車に銃弾が撃ち込まれた。 2月20日、北海道旭川市二条通りの路上で、二率会系藤田組幹部が至近距離から腹や胸などに銃弾6発を受けて、死亡した。 同日、八王子市明神町で、二率会系組事務所の隣のビルに2トントラックが突っ込んだ。 同日、八王子市小門町で、トラックが二率会組長の自宅に突っ込み、更に銃弾4発が撃ち込まれた。 同日、相模原市の二率会系組長の自宅に銃弾が撃ち込まれた。 2月22日、警視庁は、警備部、防犯部、機動隊を含めて1200人の警察官を動員した。警視庁捜査四課は、八王子市を中心に、30班で合計150人の山口組組員が潜伏していると、見積もっていた。 一連の抗争で、二率会に対して約20回に及ぶ銃撃を行った。警視庁は捜査員80人を大阪市に派遣し、宅見組本部や宅見組系幹部宅などを一斉に家宅捜査した。 最終的に二率会会長が宅見勝に謝罪し抗争は終結。結果として「山口組は多摩川を越えない」という不文律が崩壊し、山口組の東京進出を加速させる契機となった抗争であった。その後、二率会は2001年(平成13年)をもって解散した。
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