八方睨み鳳凰図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 18:13 UTC 版)
(はっぽうにらみ ほうおうず)長野県小布施町にある曹洞宗寺院・岩松院の本堂、その大間天井に描かれた巨大な1羽の鳳凰図。嘉永元年(1848年)、無落款、伝北斎88歳から89歳にかけての作品である。肉筆画(桧板着色)。 由良哲次説によると、北斎は83歳のときを初めとして4度、小布施を訪れている[要出典]が、本作は、4度目の滞在時のおよそ1年を費やして描き込まれ、渾身の一作を仕上げた翌年、江戸に戻った北斎は齢90で亡くなったと言われていた。しかし現在では、本図が描かれたとされる嘉年元年6月に、北斎は江戸浅草で門人・本間北曜と面談し、北曜に「鬼図」(現佐野美術館蔵)を与えていた事実が確認され、北斎が89歳の老体をもって小布施を訪れ、直接描いたとする説には否定的な見解が強くなっている。(娘の葛飾応為が手伝って描いたものではないかと推測されている)。 21畳敷の天井一面を使って描かれた鳳凰は、畳に寝転ばないと全体が見渡せないほどに大きい。伝北斎の現存する作品の中では画面最大のものである。植物油性岩絵具による画法で、中国・清から輸入した辰砂・孔雀石・鶏冠石といった高価な鉱石をふんだんに使い、その費用は金150両と記録される。加えて金箔4,400枚を用いて表現された極彩色の瑞獣は、その鮮やかな色彩と光沢を塗り替え等の修復をされることもなく今日に伝えられている。 なお、平成2年(1990年)には、画面中央下にあって逆さまの三角形を形作る白い空間(右に示した下絵では黒い空間)が富士山の隠し絵であることが、当時の住職によって発見されている。また、製作手段については、下で描いて完成させたものを天井に吊り上げたと推定されている。[要出典]
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