八方尾根のケルン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 12:14 UTC 版)
夏には霧が発生し、冬には吹雪となるこが多い八方尾根では、主に遭難者の遺族や仲間たちが犠牲者の霊を慰め、登山者の目印として高さ3-5 mの6個のケルンが設置されている。最初1937年(昭和12年)10月に、八方尾根で毎年のようにスキーを楽しんでいた寺田健一・松江夫妻が銀婚式の記念に、第3ケルン(標高2,080 m、八方池付近)が建立。1938年(昭和13年)7月に、1937年(昭和12年)12月26日 に吹雪でルートを見失って遭難死した大阪の西阪息(やすむ)の父親らが、第1ケルン(標高1,830 m)と第2ケルン(標高2,005 m、別名:息ケルン)を建立。牧師だった父親は、第2ケルンの銘板に「我道也真理也」と聖書の言葉を刻んでいる。1962年(昭和37年)に国鉄大宮工場山岳部(前年に遭難)が丸山ケルン(標高2,360 m)を建立した。1963年(昭和38年)に東京都立石神井高等学校山岳部が創立10周辺記念に、石神井ケルン(標高1,974 m)を建立した。1984年(昭和59年)に、1980年(昭和55年)12月に吹雪で道に迷った生徒5人と引率教諭1人が凍死した神奈川県の逗子開成高校が八方ケルンを建立した。
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