先史・古代史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 19:06 UTC 版)
ウージンゲン周辺地域で最も古いヒトの生活の証拠は、1997年にナウンシュタット近郊で立証された中石器時代の猟師や採集者のベースキャンプの一種である。この場所は、当時の遊牧民が必要な食料を調達するための出発点であり、宿営地として用いられていた。この時代のこれよりも大きな入植地が発見されるかどうかは疑わしい。ウージンガー・ラントにはいくつかの川や小川が流れているが、経済活動として航行が行われることはなかった。ドイツでは、紀元前11000年から紀元前5600年の時代の大きな集落のほとんどは、飲料水の供給や交易のために必要な主要河川沿いに形成されることがこれまでに確認されている。文化はその後離れた地域に、徐々にゆっくりと広がっていったのである。 1993年から1996年までにフリードリヒスタール、マイバッハ、ヴェルンボルン、ウージンゲン近郊で新石器時代初期(紀元前5000年頃)の定住地跡が 6箇所発見された。ヴェッテラウおよびリムブルク盆地から離れ、一般的な集落の高度よりも高い海抜260 m から 410 m に位置することから、この時代のウージンゲン盆地は自立した集落スペースであったと見られる。その構造物として、特にウージンゲン近郊の広さ 2 ヘクタール を超える堀と土塁で囲まれた集落がある。これらは何度も拡充・強化がなされている。 その出土品は、初期の農耕や畜産に由来するものであり、線帯文土器文化に属している。新石器時代(紀元前4900年から紀元前2200年)の文化分類に従えば、古いレーゼフントにあたるが、多くの石の手斧や鉞はそれまでの入植地にはなかったものである。アンスパハ、ハッセルボルン、ヴェルンボルン周辺の出土品は、ミヒェルスベルク文化(ドイツ語版、英語版)(紀元前4300年から紀元前3500年)に分類される。 紀元前2200年から紀元前1600年の青銅器時代初期の痕跡は、これまで発見されていないが、定住地跡あるいは墳墓跡は、青銅器時代中期/墳丘墓青銅器時代(紀元前1600年から紀元前1300年)や骨壺墓地文化時代(紀元前1300年から紀元前800年)にはウージンガー・ラントで定住が再びなされていたことを示している。たとえばヴェールハイムでは、骨壺墓地文化の墓が証明されている。 ウージンガー・ラント全域では、ローマ時代以前の鉄器時代、すなわちハルシュタット文明(紀元前800年から紀元前450年)の墳墓は発見されているが、この時代の入植地はほとんどなく、その後ケルト文明のラ・テーヌ文化のそれもわずかである。発掘が示すとおり、紀元後1世紀から2世紀にゲルマン人が現在のウージンゲンに入植した。 260年頃のリーメスの放棄によってウージンゲン地域に対するローマの影響力は消滅した。さらにその後の民族移動時代に関して、クランスベルク近郊でアレマン人による高所入植地が発見されていることが注目される。 中世(600年から15世紀)には数多くの廃村、建造文化財となっている城砦と中世に建設され現存する集落、製鉄所が設けられた。
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