『リストワール』誌とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 『リストワール』誌の意味・解説 

『リストワール(歴史)』誌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 00:42 UTC 版)

ミシェル・ヴィノック」の記事における「『リストワール(歴史)』誌」の解説

パリ政治学院助教授就任する前年1978年に、スーフィズムイスラム神秘主義専門哲学者ミシェル・ショドキーウィチ(Michel Chodkiewicz)とともに歴史雑誌『リストワール(歴史)』誌を創刊した。1970年代・80年代は、歴史研究において大きな変化生じた時期であった1979年国立科学研究所CNRS)の研究ユニットとして設立され現代史研究所(Institut d'histoire du temps present)は、現代史という概念の普及重要な役割担いアナール学派第三世代・第四世代五月革命舞台となったパリ・ナンテール大学政治学部はじめとする様々な学派の間で歴史観歴史研究あり方に関する活発な議論交わされていた。こうした背景において『リストワール』誌は特定の学派偏することなく、「多元主義観点から」新し動向研究次々と紹介しフランス農村部歴史私生活歴史など特集を組むなどして、歴史学発展大きく寄与することになった編集委員会の委員は、先史・古代史部門のカトリーヌ・ペルレス、中世史部門のロベール・ドロール(フランス語版)、近代史部門のフィリップ・ジュタール(フランス語版)、現代史部門ジャン=ノエル・ジャンヌネー(フランス語版)とジャン=ピエール・リュウ(フランス語版)、および作家でもあるジャン・ラクチュールとオリヴィエ・ロラン(フランス語版であった各号主な寄稿者ジョルジュ・デュビー、ルネ・レモン(フランス語版)、フィリップ・アリエス、フィリップ・ジュタールらによる10 - 12ページ記事が6編、短め記事が約15掲載された。 『リストワール』誌はまた、歴史学大衆化にも寄与した。これ以前にもジャーナリスト作家一般向けの興味深い記事寄稿する歴史雑誌存在したが、歴史学者一般向けの記事書くことはほとんどなかったからである。さらに、ヴィノックはこのような普及活動一環としてジャン=ピエール・アゼマ(フランス語版)、ジャン=ノエル・ジャンヌネー(フランス語版)、セルジュ・ベルスタン(フランス語版)、ピエール・ミルザ(フランス語版)、アラン=ジェラール・スラマ(フランス語版)らパリ政治学院同僚とともに公開講座テレビ歴史番組への出演新聞歴史コラムへの寄稿毎年ポルト・ド・ヴェルサイユで行われる大規模な書籍見本市サロン・デュ・リーヴル(現リーヴル・パリ(フランス語版))への参加など学外の活動にも積極的に取り組んだ

※この「『リストワール(歴史)』誌」の解説は、「ミシェル・ヴィノック」の解説の一部です。
「『リストワール(歴史)』誌」を含む「ミシェル・ヴィノック」の記事については、「ミシェル・ヴィノック」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「『リストワール』誌」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「『リストワール』誌」の関連用語

『リストワール』誌のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



『リストワール』誌のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのミシェル・ヴィノック (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS