『リストワール(歴史)』誌
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「ミシェル・ヴィノック」の記事における「『リストワール(歴史)』誌」の解説
パリ政治学院の助教授に就任する前年の1978年に、スーフィズム(イスラム神秘主義)専門の哲学者ミシェル・ショドキーウィチ(Michel Chodkiewicz)とともに歴史雑誌『リストワール(歴史)』誌を創刊した。1970年代・80年代は、歴史研究において大きな変化が生じた時期であった。1979年に国立科学研究所(CNRS)の研究ユニットとして設立された現代史研究所(Institut d'histoire du temps present)は、現代史という概念の普及に重要な役割を担い、アナール学派の第三世代・第四世代、五月革命の舞台となったパリ・ナンテール大学の政治学部をはじめとする様々な学派の間で歴史観・歴史研究のあり方に関する活発な議論が交わされていた。こうした背景において『リストワール』誌は特定の学派に偏することなく、「多元主義の観点から」新しい動向や研究を次々と紹介し、フランス農村部の歴史、私生活の歴史などの特集を組むなどして、歴史学の発展に大きく寄与することになった。 編集委員会の委員は、先史・古代史部門のカトリーヌ・ペルレス、中世史部門のロベール・ドロール(フランス語版)、近代史部門のフィリップ・ジュタール(フランス語版)、現代史部門のジャン=ノエル・ジャンヌネー(フランス語版)とジャン=ピエール・リュウ(フランス語版)、および作家でもあるジャン・ラクチュールとオリヴィエ・ロラン(フランス語版)であった。各号に主な寄稿者のジョルジュ・デュビー、ルネ・レモン(フランス語版)、フィリップ・アリエス、フィリップ・ジュタールらによる10 - 12ページの記事が6編、短めの記事が約15編掲載された。 『リストワール』誌はまた、歴史学の大衆化にも寄与した。これ以前にもジャーナリストや作家が一般向けの興味深い記事を寄稿する歴史雑誌は存在したが、歴史学者が一般向けの記事を書くことはほとんどなかったからである。さらに、ヴィノックはこのような普及活動の一環として、ジャン=ピエール・アゼマ(フランス語版)、ジャン=ノエル・ジャンヌネー(フランス語版)、セルジュ・ベルスタン(フランス語版)、ピエール・ミルザ(フランス語版)、アラン=ジェラール・スラマ(フランス語版)らパリ政治学院の同僚とともに公開講座、テレビの歴史番組への出演、新聞の歴史コラムへの寄稿、毎年ポルト・ド・ヴェルサイユで行われる大規模な書籍見本市サロン・デュ・リーヴル(現リーヴル・パリ(フランス語版))への参加など学外の活動にも積極的に取り組んだ。
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