偶然性の手法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 02:23 UTC 版)
ケージは1950年代から偶然性を作曲に取り入れるようになり、そのために『易経』をしばしば使った。ケージが音楽を教えた作曲家クリスチャン・ウォルフの両親は出版を仕事にしており、英訳した『易経』を渡されたのがきっかけだった。ケージは『易の音楽』(1951年)や『ウィリアムズ・ミックス(英語版)』(1951年-1953年)の作曲に『易経』を使い、偶然性の手法は『4分33秒』の作曲にも取り入れられることになる。ケージはこの手法によって個人の好みや心理、芸術の伝統から自由になった音楽が可能であり、価値判断は作曲・演奏・聴取のいずれにおいても含まれなくなると考えた。ケージは偶然性の手法をチャンス・オペレーションと名付け、非意図的なものの探究とも呼んだ。 コロンビア大学で1951年に演奏した『心象風景第4番(英語版)』では、ラジオ12台を使った。受信する局、音量、流す長さは『易経』で偶然に決めたため、放送していない局につながる時も多く、しばしば無音だった。ケージは、沈黙は音と同じく音楽の一部であると語った。 ケージはこの時期に作曲家・指揮者のピエール・ブーレーズと交流を始めた。1949年にパリでケージとブーレーズは会い、作曲における偶然性について意見を交わすようになり、特に1949年から1952年にかけて多数の書簡を交わした。美学的には異なる2人だが、周囲の音楽環境が旧来の価値観に支配されている中で、互いに刺激を与え合った。また、ブーレーズの作品は、のちに『4分33秒』を初演するデイヴィッド・チューダーと出会うきっかけにもなった。
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