使用車両の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 04:59 UTC 版)
1972年3月に「出雲」が特急化された時は20系客車を使用し、東京 - 京都間がEF65形、京都 - 浜田間は当時山陰本線の主力機関車だったDD54形が牽引していたが、DD54形の故障が続発し問題となったため、1974年度中にDD51形に変更された。 1975年に24系客車が投入されたものの、翌年1976年には24系25形化された。このとき初めて1人用個室A寝台も同時に連結を行なった。当時の「出雲」は国鉄有数の寝台券の入手が困難な人気列車として知られており、B寝台車が3段式の24系から2段式の24系25形への変更による定員減で、それがさらに強調される結果となった。1978年10月に「いなば」を米子 - 出雲市間延長により「出雲」2・3号に改称し、従来の「出雲」は「出雲」1・4号に変更された。 なお、1人用個室A寝台には1986年より「シングルデラックス(DX)」と命名され、JR分社化以降2・3号にも連結された。 編成の変遷「出雲」2・3号 ← 出雲市 東京 → 1984年時点1 2 3 4 5 6 7 8 B A B B B B B B B寝台は1984年2月1日の時点では3段式寝台であったが、1984年中に2段式に改造された。 凡例 A=開放式A寝台 B=開放式B寝台 1991年時点1 2 3 4 5 6 7 8 B A1 B1/2 3B B B B B 凡例 A1=1人用個室A寝台「シングルデラックス」 B=2段式開放B寝台 B1/2=1人用B寝台個室「シングルツイン」・2人用B寝台個室「ツイン」合造車 3B=3段式開放B寝台 「出雲」2・3号には「いなば」の14系客車を引き続き使用した。国鉄分割民営化に際し、「出雲」2・3号用14系客車は品川運転所(現・東京総合車両センター田町センター)からJR西日本出雲運転区(現・後藤総合車両所出雲支所)に転出している。 その後、1991年3月に「出雲」2・3号にB寝台個室は1人用B寝台個室「シングルツイン」、2人用B寝台個室「ツイン」を連結し、A寝台は開放式から1人用A寝台個室「シングルDX」へ変更した。なお、「シングルDX」は従来より連結していた「出雲」1・4号とは異なり、同時期に連結を開始した「あさかぜ」2・3号および「瀬戸」に準じた室内を持つ車両とした。また、「シングルツイン」、「ツイン」は「トワイライトエクスプレス」に準じた室内を持ち、従前のB寝台個室「ソロ」・「デュエット」とは異なる料金を必要とした。 EF65形+14系客車の出雲2号(1997年12月14日) 14系使用の出雲2号(1996年8月13日) 24系25形使用の出雲4号(1997年12月14日)
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