作品背景・主題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 06:24 UTC 版)
『雨のなかの噴水』は、話の腹案が出来てから、皇居前広場の噴水のスケッチを採りに行った作品で、ごくふつうの少年少女の一挿話を描いているとして、作者の三島由紀夫は次のように述べている。 私にはかういふ可愛らしく見えるコントに対する好みがあり、その可愛らしさには残酷さと俗悪さと詩がまじつてゐる必要があり、そしていつもこの種のものの私の理想は、リラダンのあの意地悪な『ヴィルジニーとポオル』なのだ。 — 三島由紀夫「解説」(『真夏の死―自選短編集』)
※この「作品背景・主題」の解説は、「雨のなかの噴水」の解説の一部です。
「作品背景・主題」を含む「雨のなかの噴水」の記事については、「雨のなかの噴水」の概要を参照ください。
作品背景・主題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:42 UTC 版)
三島由紀夫は『絹と明察』の執筆動機について以下のように述べつつ、「ぼくにとつて、最近五、六年の総決算をなす作品」と位置づけている。 書きたかつたのは、日本及び日本人といふものと、父親の問題なんです。二十代には、当然のことだが、父親といふものには否定的でした。「金閣寺」まではさうでしたね。しかし結婚してからは、肯定的に扱はずにはゐられなくなつた。この数年の作品は、すべて父親といふテーマ、つまり男性的権威の一番支配的なものであり、いつも息子から攻撃をうけ、滅びてゆくものを描かうとしたものです。「喜びの琴」も「剣」も、「午後の曳航」もさうだつた。 — 三島由紀夫「著者と一時間(『絹と明察』)」 そしてそれを追求するうちに、「企業の中の父親、家父長的な経営者」にぶつかったとし、「批判者」が「父親に対する息子」だけでは足りないと考え、〈岡野〉という「人間の善意の底の悪」をよく知り、ドイツ哲学を学び「破壊の哲学をつくつたつもりの男」、「日本の土壌には根を下してゐない知識人の輸入思想の代表」を設定したとし、以下のように説明している。 岡野は駒沢の中に破壊すべきものを発見する。そして駒沢の死によつて決定的に勝つわけですが、ある意味では負けるのです。“絹”(日本的なもの)の代表である駒沢が最後に“明察”の中で死ぬのに、岡野は逆にじめじめした絹的なものにひかれ、ここにドンデン返しが起こるわけです。 — 三島由紀夫「著者と一時間(『絹と明察』)」 『絹と明察』の題材は、1954年(昭和29年)6月に起きた「近江絹糸の労働争議」から取ったもので、三島は1963年(昭和38年)8月30日から9月6日まで、滋賀県彦根市、近江八景を取材してから、10月26日に起稿し、翌年1964年(昭和39年)8月13日に脱稿している。
※この「作品背景・主題」の解説は、「絹と明察」の解説の一部です。
「作品背景・主題」を含む「絹と明察」の記事については、「絹と明察」の概要を参照ください。
- 作品背景主題のページへのリンク