佐藤達夫
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佐藤 達夫(さとう たつお)
- 佐藤達夫 (法制官僚) - 人事院総裁・法制局長官
- 佐藤達夫 (解剖学者) - 東京有明医療大学学長・東京医科歯科大学名誉教授
- 佐藤達夫 (食生活ジャーナリスト) - 食生活ジャーナリストの会代表幹事
- 佐藤達夫 (考古学者)
佐藤達夫
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「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「佐藤達夫」の解説
『日本国憲法成立史』の著者佐藤達夫は、1959年2月、高柳の国会答弁とその後の新聞報道(#高柳会長の国会答弁を参照)を受け、産経新聞に「憲法は“押しつけ”か」を書き、「例の“天皇の身体”をめぐる脅迫の有無」は「押しつけ問題のキメ手にはなりえない」とした。佐藤は「わたしなども、たまたま当時の関係者だったという縁故から、『憲法は押しつけか』という質問をよく受けるが、そういう質問に対しては、『一口にはとても答えられない。政府で原案を作る段階においては、たしかに少なからぬ圧力があった。それにしても、決してマ草案そのままを呑まされたわけではなく、先方との交渉によって、政府の意思も相当にとり入れられている。これに対し、議会の審議では少し事情が違う。それには議員側の修正について一部が拒否され、また“文民”のように、先方の指示によって加えられた条項もあるけれども、その一方、大部分の修正はそのまま認められているし、また、議員に対して賛成を強制したような事実もなかった。現に採決にあたって辛ラツな反対演説をし、また反対投票をした人々もある』-というように答えている」という。佐藤は「“押しつけ”のいかんを躍起になって究明する実益があるのかどうか問題だ」とし、「憲法制定についての外部の影響力を判定するについては、マ草案の公布から成立にいたるまでの全過程にわたって精密な診断を必要とするし、またそれが明らかになったとしても、これを“押しつけ”か否かという単純な評語で割り切るには適しないように思う」「“天皇の身がら”をめぐる脅迫の存否というようなことも、多くのポイントのなかの一つであり、それだけでは問題のキメ手にはなりえないであろう。これは、逆に高柳会長の報告が“押しつけ”肯定であったとしても同じことだと思う」としている。
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