休刊へのカウントダウン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 08:07 UTC 版)
「MSX・FAN」の記事における「休刊へのカウントダウン」の解説
こうして、他機種への移行を潔しとしない、コアなMSXユーザーを主対象とする形で、完全に新作ソフトが発売されなくなり、ライバル誌MSXマガジンが1992年に休刊した後も、発行は続けられた。読者を確保するため、定期購読も開始した。だが、MSXユーザーの減少には歯止めがかからず、定期購読者の人数も確保できなくなり、休刊が決定する。 このころ、最後のMSXマシンであるFS-A1GTも生産中止。裏表紙は松下製MSXの広告が定番だったが、1994年6-7月情報号からは松下製ワープロの広告に切り替わった。この広告変更について、編集長の北根は翌1994年8月号の編集後記にて、生産中止になったことの示唆と「それでもMSXの部隊だったワープロ事業部がMSXではないけれど、こうして広告を引き続いて入れてくれているのは……。松下電器さんは多くは語らない。我々は、だからその気持ちや心意気をよくよくかみしめたいと思う。」と異例のコメントを寄せている。 1994年10月号にて、出版界では異例ともいえる、休刊の事前予告を行った。この異例の休刊予告は、後述のパソコン通信化のアイデアともども、発行人の山森尚の発案であることが誌面で語られている。このとき一年(6号)という区切りが予告された。これは、3号前の1994年4月号から募っていた定期購読の申し込み単位と同じであり、即時休刊した場合に返金処理が発生することとの兼ね合いもあったことが窺い知れる。この終末までのカウントダウンは、結果として読者である残存MSXユーザーに対して「休刊後」に向けての覚悟や気持ちの整理を促すこととなり、欄外に設けられた読者からのひとことコーナー「Mファンにいいたい放題!」では編集部への謝意が多数寄せられた。 雑誌媒体にこだわらず存続を模索するアイデアの一つとして、有料会員制のパソコン通信化する是非を問うアンケートを1995年2月号で行った。しかし、その結果は、半数が「参加したいがモデムがない」と回答するなど、パソコンユーザーとしては低年齢かつエントリーユーザーの多いMSXユーザーの傾向が浮き彫りとなり、事業化は不可能と判断された。なお、同じアンケートによる読者の年齢分布によると、そのピークは18歳となっている。 そして事前予告どおり、1995年8月号(7月発売)をもって休刊となった。最終号の公称部数は8000部である。最終号の各投稿作品コーナーでは通常の倍以上の作品が掲載された。最終号での掲載に間に合わせるべく投稿が殺到し、投稿数も通常の3倍以上となった。また前号と合わせて同人サークルの自己PRスペースが設けられ、商業誌に頼らずユーザー自身の手でアマチュア活動を続けていくよう促された。 一方で、何らかの形で作品発表の場を残していくための模索も休刊カウントダウンに並行して進められており、1995年4月号では手持ちのプログラム開発環境やゲーム機も含めた所持マシンについて問うアンケートが実施された。その結果は、姉妹誌のPC Engine FAN誌に場を移し、MSXやPC-9801でPCエンジンのクロス開発が可能な簡易開発キット「でべろBOX」の発表という形で結実した。
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