企画とタイトル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 22:05 UTC 版)
「仁義なき戦い 完結篇」の記事における「企画とタイトル」の解説
仁義なき戦いシリーズは、第四弾『仁義なき戦い 頂上作戦』で、誰がどう見ても完璧なエンディングを迎えたが、"映画は商品"と言い切る岡田茂東映社長が、みすみすヒットシリーズを終わらせるわけはなく、『頂上作戦』を書き上げた笠原和夫が、岡田社長と深作、日下部五朗の四人で夜の京都に繰り出した折、四条大橋の上で岡田が笠原の肩に手を掛け「お前なァ、悪いけど『仁義なき戦い』をもう一本書いてくれないか」と囁き、笠原にさらなる続編執筆を要請した。笠原は「あれはもう文太と旭の別れも書いて、二人とも刑務所に入れたし、もう書きようがない。無理です」と断ったが、岡田から「まあそう言わずに頼むわ」と無理強いされた。バーに入って岡田に聞こえないように笠原が小声で深作に相談すると、深作は「笠原さんがホン書くならやるよ」と言う。笠原は「よし。なんぼなんでもギャラが安すぎるから(一本120万円だった)値上げ交渉やろうや」と言ったら、深作「ああ、上げてくれなかったらストライキだな」 笠原「せめて一本2、300万円にして貰わないとな。ギャラ交渉が終わったら、お前に連絡するから、それまでお前は引き受けるな」 深作「わかった。おれのぶんの交渉もよろしくな」というやり取りがあり、深作と笠原は第五部のギャラアップの共闘を約束し、認めないなら第五部はやらないと申し合わせていた。簡単に諦めるわけがない岡田社長は、1974年の正月に東映本社に挨拶に来た深作に「今年はまず第五部だな、君、頼むよ」と半ば命令し、深作が「終わったはずでは?」と言い返すと「"完結篇"が出てないやないか」と無茶苦茶な言い分で製作を承諾させた。深作が笠原に電話で謝まってきたため、「ばか、何で引き受けたんだ。値上げ交渉する前に返事するやつがあるか! 何が反体制の闘士だ、おれはもう書く気はないぞ」と笠原は『あゝ決戦航空隊』の脚本に取り掛かっていてそちらに思い入れが行っていて「仁義なき戦い」は美学的決着もつけたし、それほど愛着はないと「仁義なき戦い」の脚本執筆を断固拒否し、高田宏治に脚本が交代した。笠原はこのときのギャラ闘争が実り、『あゝ決戦航空隊』のギャラは150万円にアップし、以降もギャラアップは続き、1982年の『大日本帝国』では1000万円に上昇したという。
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