仮名文字運動とは? わかりやすく解説

仮名文字運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/03 06:45 UTC 版)

山下芳太郎」の記事における「仮名文字運動」の解説

1914年6月時事新報自身あたためてきたカナモジ論を発表したカタカナ書体発表した。この考えもとづき1916年夏には、京都高等工芸学校出身平尾善治にカタカナ書体設計依頼した1920年11月1日に『国字改良論』の第1版出版するとともに大阪市東区において仮名文字協会(現、財団法人カナモジカイ)を設立した1922年4月には、仮名文字協会発行する雑誌カナ ノ ヒカリ第3号に、カナモジタイプライターのキー配列の案を発表した。さらに、1922年8月には『国字改良論』第4版キー配列の第2案を発表した山下は、様々な研究重ねた後に『改良カナ文字』が妥当であるとの結論達し字形研究タイプライターの製作に取り組んだジュネーブ開かれた1922年国際労働機関総会ののち、渡航中の病を押して米国ニューヨークにわたり、アンダーウッド・タイプライター会社訪れた設計部長バーナム・クース・スティックニーカナ文字タイプライター書体およびキー配列についてうちあわせをし、1923年1月議論のすえに決めたキー配列タイプライター発注した。(しかしながらキー配列タイプライター製造にあたってさらに変更された。実際に製造されカナ文字タイプライターキー配列は、1923年2月出願されアメリカ合衆国特許第1,549,622号のものである。そして、その明細書記され発明者スティックニーただひとりである。) タイプライター発注したのち、船に乗ってアメリカ合衆国から日本帰る間に、山下の病は悪化した1923年2月日本についてただちに入院し手術受けたが、医師余命3か月診断された。兵庫県 武庫郡 精道村(現、芦屋市)の自宅帰り1923年4月7日胃癌のため死去した享年は(数え年で)53であった最初カナ文字タイプライター1923年5月日本届いた1924年鶴見総持寺建てられ山下石碑は、平尾によって設計された。この石碑には左横書きカタカナで「ヤマシタ ヨシタロゥ」と刻まれている。

※この「仮名文字運動」の解説は、「山下芳太郎」の解説の一部です。
「仮名文字運動」を含む「山下芳太郎」の記事については、「山下芳太郎」の概要を参照ください。

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