仮名本の成立過程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:25 UTC 版)
「仮名本」の系統は複雑で、その成立時期については今もなお不明である。 佐成謙太郎(国文学者、1890年 - 1966年)は、『親元日記』の中に1465年〈寛正6年〉3月9日に「伏木曽我」が上演されたという記述があることを指摘、「仮名本」はこれ以前に成立していたと推定した。 村上学(国文学者、1936年 - )は、『醍醐寺雑記』(1347年〈貞和3年〉)のなかに「蘇我十郎五郎事」の話を聞いたというくだりがあり、その記述は「仮名本」と類似していることを示した。これにより、少なくとも「仮名本」の原型が14世紀前半までに整っていたとした。 村上美登志(文学者、1951年 - )は、仮名本系統のなかで最も原初的とされる「太山寺本」のなかで、曽我兄弟の母親が「今の慈恩寺」について言及していることに着目した。この「慈恩寺」は、正平年間(1346年 - 1370年)に六角氏頼が近江国蒲生郡安土(滋賀県近江八幡市)に建立した慈恩寺と推定され、これが兵火にかかって焼失するのとそう変わらない時期の1370年前後に「太山寺本」のもとになった仮名本が作られたと推定した。 しかしこの説には湯谷裕三(国文学)から慎重意見が示されている。平安時代の『和漢朗詠集』の注釈のなかに、曽我兄弟の母親が語った説話と類似する記述が認められ、これがもとになっている可能性もあるというのである。 村上美登志はほかにも、「太山寺本」の成立時期を14世紀後半とする傍証を示している。曽我兄弟の母親は、1320年〈元応2年〉成立の『続千載和歌集』掲載の和歌を「古き歌」として引用する。村上美登志は、この部分が後世による補筆でなければ、という条件つきだが、これは「太山寺本」が14世紀後半に成立したことを示唆するものだとした。
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